不揃いアンダンテ。
ふわっと。
ふらっと。
滑らかに。
穏やかに。
「春ですなぁ。」
と、佐藤が言った。
「春ですねぇ。」
と、平介が返した。
「っつーかテメェらの頭は年中春じゃねぇか。」
ケッ、と唾を吐いて鈴木が悪態を零した。
言いつつも、鈴木もそれなりに彼等と類友であり、そうであるからこそつるんでいるのであって、傍から見れば鈴木の中身も大して変わらないのであろう。
ただし鈴木は頑なに同類として見られることを拒んでいるので、そこら如何は未だ鈴木の中で追求されることなく置き去りにされたままである。
麗らかな陽射しの降り注ぐ、午後も3時のおやつ時。
微かに肌寒さの残る空気にひやりと身を震わせながら、肌を包む布の厚みは、次第に少なくなっていく。
緩やかに流れる刻に、はらりひらりと、降る薄紅。
敷き詰められた桃色の絨毯の上を緩慢な足取りで歩みながら、3人は帰路に着いていた。
「で?」
唐突に、鈴木が言葉を放る。向けた眼差しの先は、平介だ。
否、正確に言うなれば、そこは―――・・・
「何よ。」
「だから、何だよお前、その、手。」
不自然に突き出された、平介の手。
両手を椀の形にして、何かを拾う様に、掬う様に。
「いやぁ、何って・・・」
「何々?平介。桜の花弁でもキャッチしようっての?きゃー、ろまんちっくー!」
茶化す様に佐藤が笑った。半ば冗談だった。
冗談、だったのだが。
「・・・・・・」
「・・・おい、まさか、またなのか。」
「ぁーっ・・・御免って、平介。」
スゥッと空気を重くし、小さく溜息を吐いた平介に、鈴木はうんざりと、佐藤は苦笑を返した。
うんざりしながら、苦笑を返しながら、それでもいつも、平介に付き合って一緒に悩んでくれるのは、彼等が腐れ縁たる所以であり、微かに滲む、優しさなのだ。
昨日の夕方のことである。
早咲きの桜が漸く八分咲きを迎え、風に揺られてはらりと舞い落ちるようになったこの頃。
平介は日課とも言える幼児のお守、従兄弟の秋と共に、日が落ち始めて茜色に染まった空の下を、ゆっくりと、散歩していた。
決して秋のスピードに合わせている訳では無く、平介のだらりとした歩幅とスピードが、偶々秋のそれと合致したという、なんとも情けないやら奇跡的やら。
そのような具合で、平介は真っ直ぐ前を見据え、時折秋を気にしつつ、のっそりと歩いていた。
平介は常のそれと変わらなかったが、秋は違っていた。いつもは前を見ながら、時折、とは言い難い頻度で平助を見上げてはまろい頬を朱に染めて、ふにゃりと笑いながら平介の横を歩くのだけれど。
その日の秋は、小さな掌をくっつけ、突き出し、首が痛くなるのではないかと心持ち心配になる程じっと上を向いて、ふらふらと頼り無い足取りで道を歩んでいた。
『・・・あっくん、首、疲れない?』
気になって平介が尋ねれば、懸命に体を捻った秋は、平介を見上げて1つゆるりと横に首を振り、
『おれ、はな、とる。』
と、鼻息も荒く勇んで宣言した。
何で?、と首を傾げて問うた平介に対し、『とれたら、おねがい、かなう、から。』、と返したのは秋だ。
何所ぞで聞いたことがあるような話だ、と思いつつも、何かが違う様な気がする。
気がするだけで、平素流行や噂、人の目といったものから無縁と言わんばかりの生き方をしている平介は、違和感を確定的なものに押し上げる術を知らない。
やはり、まぁ良いか、で済ました平介は、それよりも、足下も疎かに宙空を眺めやる幼児に、ある種の予感を抱く。
それは、常日頃物事を流し見、取り繕う事もせずケ・セラ・セラと生きている平介にしてみれば、あまり芳しくないものであったが。
『あーっ、あっくん、あのさぁ・・・』
忠言しようと掛けた声は報われず、それともタイミングが遅すぎたとも言うべきか、案の定、上を見上げていた秋は、道に落ちた小石に足を取られ、盛大に顔から転んだ。
手を前に突き出していた為、咄嗟の受け身も取れず、その上に運悪く、突っ込んだ先は水溜りの中だった。
掛ける言葉が無いとは、このことである。
何が起きたのか分からず、呆然とする秋と、どうすべきか分からない平介は、数瞬そのままの状態でその場に縫い付けられた。
「で?」
今度は佐藤が、言葉を継いで先を促す。
「いや、勿論直ぐ我に返ってあっくん起こして、帰宅して風呂に入れましたとも。」
「当然のことを言うな。そんで、今回は一体あの従弟どうしたってんだよ。」
「んー、だからさぁ。何にそんな一生懸命になったのかは分かんないけど、あっくん、取れなかったの相当残念だったみたいで。背中で語るのよねー、これがまた。」
秋にしてみれば、失敗と失態の二段構えである。中々浮上しようとも壊せない壁だ。特に溜め込み易い秋にとっては。
「それで、秋くんの雪辱を晴らしてあげようって?」
「随分お優しいお兄ちゃんっぷりじゃねぇか。気持ち悪ぃ。」
うげぇっ、と顔を顰める鈴木の悪辣っぷりはいつ如何なる時も容赦がないが、こと秋が絡むと、もうその話題は腹が一杯だとでも言いたげに、拍車が掛かる。
気持ち悪い、って、鈴木・・・酷い・・・、とボソリと呟いた平介の弱声もスルーだ。
「そうは言っても、あの哀愁漂う背中で無言に語られる俺の身にもなってみなよ。もうそれだけで胃が重い。」
だから、自身の安寧の為に、秋の願いを叶えてやろうと平介はいうのだ。
それは自己保身であり、偽善的な優しさであり、平介の、亀の歩みの如き成長の証だ。
「まぁ、花弁だけ持ってっても、直ぐ駄目になっちゃうし。形が残らないなら残らないでそれでも良いけど、どうせなら、押し花にでもして栞にしようかな、と。」
あっくん、読書家だしねぇ。
ゆるゆると語る彼は、存外に器用だ。
でなければ、好きだけで菓子作りなど上達はせぬし、佐藤や鈴木が気に入る様な、絶妙な味わいの品が出来上がりはしない。
こう見えて、平介に鍛えられた彼等の舌は、肥えているのだ。
なのにどうして、後輩に絡まれ、従弟に振り回され、不器用な生き方しか出来ないのだろうか。
肩の力は抜いている筈なのに、妙な所で手の抜き方を知らない彼は、やはり今日も、何故何どうして、の3語を脳内に浮かべながら生きるのである。
似合わねぇな、キャラじゃないね、と言いながら、平介の言葉を否定はしない2人も、何やかやと、気付けばきっと、手伝ってしまっているのだろう。
何しろ、腐れ縁であるから。
「あっ、春と言えば!」
「何?」
「桜餅!」
「あぁ、もうそんな時期か。平介、包(つつ)んでる方な。」
「だから、包(つつ)んでるのと包(くる)んでるのとどう違・・・ってえっ、ちょ、俺が作るってもう決定なの?」
「明日、超楽しみー!」
「佐藤よ、まだ良いなんて・・・あぁまぁ、別に良いけどさ。」
間の抜けた会話を、交わしながら。
「・・・!」
「うわっ、凄ぇ平介、枝ごと落ちて来たじゃん!大量じゃん!!」
「はっ、お前これ、花泥棒じゃね?」
「わぁ、俺、桜塗れなんですけどね・・・」
間の抜けた面で、笑いあって。
そんな、日々。