小説インフィニットアンディスカバリー
鼻をくすぐる甘い香りは香水のものか。胸の中に沈むのは、カペルには見覚えのない女性だった。視線を下に移せば、あらわになった鎖骨が艶めかしく朝日を反射し、さらにその下では自分と彼女を繋ぐ双丘が深淵なる谷を形成している。点から広がったその設置面は、人間の身体の柔らかさ、その限界の向こう側をカペルに教えるとともに、柔らかさに相反するはずの弾力をもって今にも二人を引き裂こうとしているかのように――
「――ル、カペル!」
「は、はい!」
「あんた、何デレデレしてるのよ!」
ぷりぷりと怒りだしたアーヤが引き離そうとするが、それをものともせずに女性はカペルの首に腕を回す。
「ちょっと、嫌がってるでしょ、離れなさいよ!」
「別に嫌がってるようには見えないわよぉ、ねえ?」
「は、はい!」
「カペル!!」
アーヤの努力もむなしく、女性の腕は離れる気配を見せない。とにかく柔らかく絡みついてくる。こんなの、初めて……。
「ん? ミルシェ……ミルシェじゃないか!」
こちらの騒ぎに気づいたユージンが来て、驚きの声を上げた。
「あら、ユージン君。お久しぶり」
「そうか、追いかけてきてしまったのか……」
かちゃりと眼鏡を押し上げ、明らかに残念そうな表情をユージンは見せたが、ミルシェは意に介していないようだ。
「ユージンさんのお知り合いなんですか?」
「ああ、その人はミルシェと言ってね。ケルンテンで――」
「どうした」
遅れてシグムントとエドアルドがやってきた。
「あれ? シグムント様が……二人?」
彼女もまた同様だ。二人のシグムントを眼前にして、目を丸くしている。
「だから言ってるでしょ。それはカペルで、あっちがシグムント様!」
「……」
アーヤの指摘にもきょとんとしたまま、ミルシェは二人を見比べる。
「あは、あははは……」
「ミルシェか、久しいな」
ミルシェは抱きついていた方を無残にも突き飛ばし、もう一方の胸へと飛び込んでいった。
名残惜しい。が、無意識に伸ばした手は彼女には届かず、すっかり弛緩した身体はふらふらとよろめくばかりだが、カペルは何とか体勢を立て直した。その足をアーヤが思い切り踏み抜いた。
「痛っ!」
「ふん!」
細身でありながら出るところはきっちりと出ている彼女の肢体は、抱きつかれるまでもなく抜群だと判断できる。胸元まであらわになったドレスがそれを強調しているが、誇るような素振りのないのがカペルには好印象だった。ゆるいウェーブのかかった髪の上にヘアバンドとちょこんと乗せた眼鏡。手には人を撲殺できそうなくらい分厚い本。ミルシェさんも解放軍の一員なんだろうか……。
抱きつかれるままにしているシグムントが、ミルシェの頭越しにユージンを見やる。責めるようなその視線を受けて、ユージンは頭を掻きながら苦笑した。
「あれはミルシェといってね。ケルンテンで解放軍に加わった治癒術士なんだ。まぁ、その……、こんな感じの人なんでいろいろあってね。僕の判断で置いてきたんだけど」
「ミルシェ、これからプレヴェン城の攻略に向かう。ついてこい」
「もちろん! シグムント様もみなさんも、怪我をしたらすぐに私に言ってね」
魅力的な女性のウインクは、男にとってチャームの魔法と同義だ。それを実証するミルシェに、カペルは顔の筋肉という筋肉を弛緩させる。
カペルは再び足を踏み抜かれた。
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん