小説インフィニットアンディスカバリー
「甘いの嫌いだった?」
「ううん、おいしい。ありがとう」
「どういたしまして」
なんとか一つを食べきったアーヤだったが、その笑顔は弱々しい。自分の身体もきついが、そう長くも休んでいられないと感じたカペルは、自分の分を急いで口に放りこんだ。
「そろそろ行くよ」
「うん」
再びアーヤを抱え上げる。ブルガスアップルの甘い香りが少し気になるが、気にせず歩き始めた。
「匂い、付いちゃったね」
「まあ、草原にクマが出るわけでもないし問題ないでしょ」
草原を抜け、新たな森に入ろうとしている。この森の向こう、わずかな勾配を上るとモンタナ村だ。ゴールは近い。
だが、こういった逃避行の最後には、最大の障害が待ち構えているものらしい。
クマが出た。
「じょ、冗談でしょ」
牢獄で見たトロルとさほど変わらない巨体に、どう猛な牙、爪、それらに似合わない愛らしい丸い目と、額から伸びる一本の角。砂漠に生息するらしいナルヴァル・セラヴェヒールとかいうクマの一種のようだが、何故こんなところに……。
頭の中で乱れ飛ぶ疑問もとりあえず、気づかれないようにと急いで身を隠す。が、身は隠すことが出来ても、匂いまで隠す術をカペルは知らなかった。先ほど食べたブルガスアップルの甘い香りが鼻をつく。
「食べなきゃよかった……」
鼻をクンクンとならしたクマがこちらに気づくまで、それほど時間は必要としなかった。二足で立ち上がって巨体を誇示していたクマが、カペル達を見つけるや四足に構え、猛然と走ってくる。
「食べても甘くないです!」と言ったところでクマにわかるはずもなく、カペルは一目散に逃げ出した。
逃げると言っても、人一人を抱えたまま逃げ切れるほどクマの足は遅くない。あっという間に距離を詰められる。
クマの爪がカペルの背中を捕えようとしていた。
「ルカ、クマさんが誰か襲ってるよ」
「ほんとだ……ねぇロカ、あれカペルじゃない?」
「あっ、カペルだー、おーい」
カペルが走る道の先に、小さな子供の影が二つ見えた。無邪気に手を振る子供達の影に気づいていても、手を振り返して答える余裕はない。
「ルカ、ロカ!」
同じ顔つき、同じ背格好をした子供が二人。帽子の形と服の色に違いがなければ見分けがつかないのは、彼らが双子だからだ。カペルが以前モンタナ村を訪れたときにお世話になった、青龍の神官の子供達だった。
「ちょっと待ってね。うーん、それ!」
青い服を着た方の子供が手に持ったタクトを振ると、浮かび上がった月印から光の粒子が飛び出した。それは、カペルの横をすり抜けるように飛び、クマに直撃すると、拡散し、猛る巨体を包み込んだ。
「へへへー、待て!」
「待て!」
二人がそう言うと、うなりをあげていたクマが突然足を止めて立ち上がり、人が変わったかのように、この場合、クマが変わったかのようにだが、その場に座り込み、毛繕いを始めた。
「もう大丈夫だよー」
「はぁ、はぁ……助かったよ、ルカ、ロカ」
「えっへん!」
二人のおかげで助かったらしい。小さな胸を反り返らせている青い服の男の子はルカ、隣で飛び跳ねている赤い服の女の子はロカだ。
「さすがは天才獣使いだね」
「ロカも頑張ったんだよ!」
「はは……ありがと、天才召喚士のロカちゃん」
「うんうん!」
二人はこの地方でも有名な月印使いで、まれに見る天才児と言われている。興奮するクマを手なずける様を見ればわかるように、それは確かに真実なのだが、中身はまだまだ子供だった。
「ねぇカペル、そのきれいな人、誰?」
「あっ、そうだ。神官様はおうちにいる!?」
「よく頑張ったね、カペル君」
アーヤの治療をしてくれているのは、青龍の神官である、ルカとロカのお父さんだ。癒しの月印でアーヤの傷口を治療する。添えられた両手が発する白い光はどこか温かく、月の力には思えないなと、カペルはそれを見つめていた。
「君が頑張ったおかげで、この娘は助かったんだ。男を上げたね」
「ははは……どうも」
男が上がったかどうかはともかく、アーヤは助かった。そして自分も。
「これでとりあえず傷口は塞がった。ただ、身体がかなり弱ってるから、しばらくは安静にして様子を見よう」
「はい。ありがとうございます」
カペルの肩をぽんと叩くと、ルカとロカを促して神官は部屋を出て行った。こうやってねぎらわれるのはいつ以来だろう。肩に残った余韻に充足感を感じて、カペルは大きく息をついた。部屋には今、カペルとアーヤ、二人だけだ。
「よかったね。もう大丈夫だって」
「うん」
良くなったおかげか、アーヤの頬が紅潮していた。気の強い女の子、という最初の印象にはほど遠いが、それでも元気を取り戻した事にカペルは安堵した。
「……何よ」
「しおらしいアーヤも見納めかなと思ってね」
「バカ」
ぷいと横をむいたアーヤを見て安心したのか、押さえ込んでいた疲労が一気に吹き出す。
「僕もちょっと休ませてもらおうかな」
押し寄せてきた睡魔に負けて腰を下ろすと、ベッドにもたれるようにして、カペルはそのまま眠りに落ちた。
「カペル、ねぇ、カペルってば!」
「ふぁ……、ルカ、ロカ、おはよう」
「おはようじゃないよ、まったく。もう夜なんだぞ」
「夜なんだぞ」
部屋に降り注いでいた太陽の代わりに、松明の光が温かく揺れている。
眠い目をこすってあたりを見回し、同じ松明でも牢にいた時の印象とはずいぶん違うもんだなと、カペルはぼんやりとそれを見つめた。窓の向こうには、夜空の王様の姿も見えている。
「もうすぐご飯だから起こしてこいって」
「カペル、起きろー」
「起きたよ。起きたから静かにして、ね」
ベッドの中では、アーヤが寝息を立てていた。彼女はまだ寝かせておいた方が良い。
さっきよりもさらに顔色は良くなり、苦しそうな様子も感じられない。無防備な寝顔にどこかあどけなさを感じたカペルだったが、そう感じたことで、自分が彼女の年齢を知らないことに気づいた。年齢はおろか、解放軍のアーヤさん、ということ以外は何も知らない。そんな彼女のためにずいぶん無茶をしたもんだと、カペルは自分に感心していた。
目覚ましにと涼を求め、開け放たれていた窓に近づく。ひんやりとした風が頬を撫でた。
「んー、気持ちいいなあ」
「ねえねえカペル」
「ん、何?」
振り返ると、ルカとロカがにやにやと笑いながらにじり寄ってくる。何か良からぬ事を考えているような気しかしなくて、カペルは一歩後ずさりした。
「アーヤはさ、カペルのカノジョなの?」
「……ルカくん、いきなり何を言い出すのかな?」
「だって、オヒメサマダッコだよ、オヒメサマダッコ!」
「ロカさんまで……」
「アイがなきゃできないぜー」
「できないぜー」
「はは……意味わかってるのかな」
目を輝かせている双子を見ても、カペルには苦笑いをするしかない。
「アイがなきゃできないかどうかはわからないけどさ、まあ大変だったよ、うん。ああ見えて結構重いからね。平原を走ってる時なんてもう腕がパンパンでさ。もうちょっとで、こう――」
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん