龍キャスぺろぺろ
はあ、と雨竜龍之介は息を大きく吸って吐いた。しっとりと濡れた黒髪のような空に、ふわりと白い空気がたなびく。
「タバコですか」という姿なき声に龍之介はにんまり笑って見せた。珍しく獲物が一人も見当たらない夜である。
草木も眠る丑三つ時。公園の隅に設置されているベンチに座って、悠然と煙草をふかしている人物がいたら、間違いなく警察に連行されていてもおかしくはないのだが、あいにく深夜巡回も終わってしまったのだろう。退屈そうな連続殺人鬼は「出てきなよ、旦那ぁ」とくわえ煙草のまま、ふがふが呟いた。
「リュウノスケ、きょうはオタクホウモンはしないのですか」
「んー。あんまり派手に動くのはCOOLじゃないし。たまにはゆっくり、青髭の旦那と星空ウォッチングもいいかなーって」
「そんな悠長にしている時間もないのですが……まあ、星を見ながら明日の芸術作品とジャンヌの復活に想いを馳せるのも良いですね」
今まで龍之介だけが座っていたベンチに、突然くすんだローブをまとった大男が現れるのは怪異以外の何物でもないだろう。しかし、怪異……キャスターの座に就くジル・ド・レェを招いた殺人鬼は「さっすが旦那!その楽しみ方超COOOL!」と破顔した。死んだ魚のような目をぎょろつかせていたジルも、「リュウノスケのそういう素直な点も好ましいですよ」と温和な笑みを見せた。
大柄な体を縮ませるように、ジルは猫背だった。そのままの格好で眼だけが暗い空を向いている。その横顔を眺めながら龍之介は、煙草の吸いさしをジルの眼前に持って行った。
「吸う?」
元より出会ってから、聖処女復活と娯楽のための殺人にしか興味を示さない人物である。吸うはずないか、と龍之介が手をひっこめるより早く「懐かしいですねえ」とジルは煙草を受け取った。
「え、ちょっ、旦那タバコ吸うの!?」
「形は違えど、似たようなものは貴族の嗜み程度に」
くしゃりと笑って短くなった煙草を銜えるジルの姿が、一瞬だけ別人に見え龍之介は目をこすった。
ゆっくりと、緩慢にも見える動作でジルは息を吐いた。立ち上る有害な煙は、冷たい夜に霧散していく。肺に紫煙を行き渡らせたのだろう、すこし噎せながら、ジルは「懐かしい味だ」と再度呟いた。
骨のような指に挟んだ煙草から、灰がぽろりと地に落ちた。そこから覗く赤い灯は、まるで肉と骨の間から垣間見える鮮血のようだと龍之介は思った。神を貶めながら、何かに祈るその姿が神聖な芸術そのものとなるように、もっと赤で紅くあかく染め上げて壊して、完成させてみたい。
「ジルの旦那、やっぱりお宅訪問しよっか」
「リュウノスケ?」
「インスピレーションっていうの?衝動ってやつ?まあ、どっちでも良いや。とりあえず旦那のタバコすってるとこ見たらムラムラしてきた」
「ほう、それは結構。私の姿に何を見ましたか」
「んーと、芸術の神様ってやつ、かな」
子どもが見せる屈託ない笑顔をジルに見せると龍之介はベンチから立ち上がった。いつの間にか怪異の姿は消えたが、目を覚ました殺人鬼の傍らで愉しそうな笑い声が上がる。
「やはり、貴方こそが私のマスターに相応しい」
冷えた夜の底で頬を切りながら、淀んだ闇に「二人」は吸い込まれていった。後に残された吸いがらはただただ静かに燻るだけだった。