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ケイネス先生とソラウちゃんが眼鏡を買いに行く話。

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「ケイネス。あなた、ひどい顔」

小馬鹿にするような、落胆するような、鮮やかな赤毛の婚約者が時計塔の研究室を訪れて初めて発した言葉がそれだった。ケイネスは思わず読んでいた魔術の古典書を取り落としそうになるが、婚約者の嘆きの原因を察知する。
「見えないんだ、ソラウ」
「そう、睨まれたかと思った」
まさか。ケイネスは唇に笑みを寄せて空いている椅子を引いた。当然とばかりに足を組んでソラウが座ったのを確認し、紅茶を淹れる準備を始める。
手元に広がる文字の世界が霞んで、その歪みない美しい世界に没頭できなくなったのはいつ頃からだろう。婚約者であるソラウと出会って、しばらく経ってからだったと、定かではない記憶の糸を手繰り寄せて苦笑する。考えても詮無いことだ。
「ソラウ、アールグレイで良いかい」
「今日はダージリンな気分だわ……ねえ、ケイネス」
沸騰した湯をティーポットに注ぐ。その湯気の向こう側、愛おしい女性の姿は輪郭がぼやけてやはり曖昧だ。ケイネスは黙ってソラウの次の言葉を待った。
「あなた、眼鏡でもかければ良いじゃない」
「眼鏡?私にそんなものを身につけろと言うのか、君は」
「さっきのひどい顔と四六時中付き合うより数段良いわ。ねえ、そうしましょうよ」
笑みを浮かべるソラウに気づかれない程度、ケイネスは小さくため息をついた。
確かに魔術は文明の利器を遥かに凌ぐ高度な秘術だが、進行性の近眼を完治させる類のものをケイネスは知らなかった。ましてや、これから家族になる人間に顔を見るのも嫌だと言われてしまった以上、断る理由などありはしない。
ケイネスは、そのうちに見繕おうと誤魔化しながら飴色の液体をカップに注ぐ。温かで豊潤な香りが室内に満ちる。だが、婚約者はケイネスの返答に満足がいかなかったようだ。
「今よ、今から買いに出かけるの」
「……雨が降っているが」
「こんな本ばかりの薄暗い部屋に引きこもっているから目も悪くなるのよ」
珍しく気遣うようなソラウの言い方に、ケイネスは目を丸くした。今日は雪が降るかもしれない。口に含んだダージリンを味わうことなく嚥下しながら、ケイネスは立ち上がってコートを羽織ったソラウを見つめる。出会った頃と変わらない美しいシルエットが、研究室の床に影を落として踊っている。
この風景が、もっと鮮明に見えるのならば、それはそれで良いかもしれない。ケイネスも婚約者の後を追うように立ち上がった。

「おすすめの店があるの」
二人は小雨が降っていたが、コートを着こんで街へとでかけた。ソラウはケイネスとは腕を組もうとはせず、それでも離れることもなく微妙な距離を守っている。ケイネスも、その距離を保つよう気をつけながら歩く。
ソラウは運転手付きのリムジンで出歩くことを嫌がった。上流階級の人間であれば当然のことだが、変に目立つじゃないと彼女は眉間に皺を寄せた。
まるで、普通の恋人同士が行うデートのようだとケイネスは思う。それはとても不思議な感覚だった。結婚することが前提の関係で、お互い仲を深める必要もないと(ソラウが一方的に)考えてきた。
ここで手を繋いだらソラウは怒るだろうか。左手が虚しく空白をつかむのにケイネスは知らぬ間に不機嫌そうな顔になっていたのだろう、
「わたしと歩くときくらい、笑いなさいよ」
そう言われて足をハイヒールのピンで踏まれた時には、目的地に着いていた。
区画の角にある小さな古い店だった。ドアを開けると静かにベルが鳴り客が訪問したことを告げる。ショーテーブルに並べられた繊細な金属は、人肌の色に似た明かりを受けて煌びやかに輝いていた。
ケイネスは眼鏡を取り扱う店に来ることなど初めてだった。ソラウは異様な空間に立ち竦む頼りない男を引っ張り、彼に似合う眼鏡を見繕い始めた。慣れた手つきで、色や形状を呟きながら、次々眼鏡を着せかえていく。
「……慣れてるんだな、君は」
「この店は父のお気に入りだから」
悪戯っぽくソラウは笑うと、黒ぶちの細い眼鏡を手に取りケイネスに合わせた。似合うことに満足したのか、ソラウは頷いて控えていた店員に「これで」とそっけなく伝えた。
ケイネスが視力を測られ、レンズの度数を合わせられ、手元に眼鏡がくるまで30分も待たなかった。ここは実は魔術工房なのではないかと疑うほどだ。そんな彼の怪訝な気分も介さず、ソラウは眼鏡をつけることを促した。
「どう?眼鏡を通して見る世界は」
「ああ、明るい」
レンズ越しに見るソラウは、普段の倍もはっきりと良く見えた。心なしか、燃えんばかりの赤毛もきつい両目も穏やかに映る。目に力を入れなくても、焦点が合うことがこんなにも楽だったことをケイネスは長らく忘れていた。
「似合ってる、良い感じよ」
「ありがとう、ソラウ」
自然に浮かぶ微笑を婚約者に向ける。この貸しは高くつくわよと意地悪く言うソラウの凛とした横顔を、目に焼き付けておきたいとケイネスは思う。
雨があがり、雲間からうっすらと陽が差し込む中、微妙な距離を保ちながら二人は岐路についた。