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ケイネス先生とソラウちゃんとドーナツ

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魔がさした、としか言いようがなかった。気がついたら香りに誘われ足が勝手に動いていた。甘ったるいが、疲れた体に沁みわたる不思議な匂いだ。
夏も終わりかけた夕暮れの街は、しっとりと通り雨の跡を石畳に残していた。それでもまだ蒸し暑さが空気を包む。浅い水溜りがスラックスを汚したのに舌打ちをする。
甘い香りの源を探し歩いていると、それは突然向こうから飛びかかってくるように目に入った。きつい赤やら黄色やら色とりどりの看板に汚れひとつない白の外壁。ぬめりを思わせる光沢は、まるで塗りたてのペンキだ。
くすんでいるが、それでも時の重厚さを感じさせる上品な街並みの中に、突如現れた「それ」は私には非常に下品に映った。無遠慮で、無様で、なんとも下賤が好みそうな店である。良く見れば、店内は若い客でひしめきあっている。
匂いにつられた己を恥ずべきだと私は思った。しかし、食欲をそそる香りの「美味さ」は本物だった。
悪趣味で派手な看板に目をやる。なるほど、ドーナツショップ……嫌いではない。沈みかけた夕日の作る影が濃さを増す最中、ほんのり灯る白熱灯の手招きに私は歩を進めてしまった。
思えば今日一日の講義は最悪だった。なかでも『魔術回路の強さは血筋や家柄とは無関係である』といった馬鹿馬鹿しい論文まで読ませられた。なんと愚かで下らない。持つべき者の元に力があるのは当然のことだ。脈々と受け継がれた血統を守り、次代に紡いでいくのも当然のことだ。いくら砂漠に水を注ごうが海にはならないのと同じように、「魔術」とは一朝一夕の努力なんぞで埋められる能力のことを指すわけではない。そんな常識が通用しない輩の相手をして、気分も最悪だった。
そう、私は疲れている。そして、少しばかり空腹だ。貴族の矜持を忘れ、このような店に立ち寄ったわけではないのだ。
心の中で言い訳を繰り返しながら、ショーウインドウのなかに飾られている色とりどりのドーナツを見つめた。ふっくらと丸い菓子が隙間なく詰め込まれている。全て違う種類なのだろうか……。
愛想の良い店員が「店内で召し上がりますか?」と尋ねるので首を横に振る。無言でガラスケースの中を指さしても店員は笑顔を崩さず、しっかりと商品名を言いながらドーナツ達を袋に入れていく。ふむ、良く訓練されている。このくらいの繊細さと気遣い、情熱を注ぐ弟子でも現れたら我がアーチボルト家の庇護に加えてやらんこともない。
とりあえず全ての種類を2個づつ選んだ。会計を済ませるべくカードを渡すが、見たこともないカードだというように若い店員はきょとんとした。一般人には見慣れないのだろうか。仕方なく一番大きい札を2枚渡す。面倒くさかったので「釣りはいらん」と言い残し、店を後にした。
大きな紙袋いっぱいに小さなドーナツ入りの紙袋がひしめいている。漂う香ばしい匂いに食欲を刺激されながら岐路についた。もう日はとっぷり暮れていた。
帰宅したアーチボルトの屋敷には、「暇つぶし」と称して婚約者のソラウが遊びに来ていた。私を包む甘ったるい香りに眉を寄せたが、手に持った紙袋を見て意外そうに「珍しい」と呟いた。
「あなたでもドーナツ、食べるのね」
「ああ……まぁ、お土産だ」
「わたしがここにいることも知らなかったくせに」
全部一人で食べるつもりだったの?と怒ったようにソラウは言った。頭脳労働と魔術回路の疲弊を癒すのに食事は欠かせない。もしかしたら食べたかもしれないと答えると、「これだから」と彼女は呆れたように溜息をついた。
婚約者の機嫌を損ねたくない私は、「では一緒に食べよう」とソラウを誘った。断られるのには慣れている。もしかしたら、ドーナツなどではなく宝石や服のほうが良かったのかもしれない。
彼女は盛大に鼻を鳴らし、火色の絨毯を敷いた廊下を歩き始めた。ソラウはなかなかに手強い。冷たくあしらわれるのに慣れているとはいえ、少し気落ちしながら彼女の後に続く。そんな私を見向きもしないでソラウは口を開いた。
「ケイネス、もたもたしないで。紅茶を入れて頂戴」
「ソラウ?」
「それ、食べるんでしょう」
夜の帳が落ちた時分は、少しばかり肌寒く感じる。それでも移動の間に砂糖が溶けたのだろう、袋から取り出したドーナツはべたついていた。しかし、客間のソファに深く腰掛けたソラウは気にする様子もなく、小さい袋を抱えながら円い菓子を口に運んでいく。ソファの脚元、床に直接座った私もドーナツをひとかじりしてみた。
「……甘い」
「ええ、そうね」
しかし予想以上に味は良い。もともと柔らかい生地なのか、多少のべたつきでも嚥下するのに苦労はなかった。口の中が程よい甘さでいっぱいになる。黙々とドーナツを咀嚼し、様々な味をとっかえひっかえ選んで口にする。まるで子どもにでも返ったような気分だが、こんな行儀の悪い食事方法は許されていなかったことを思い出した。
ちらりとソラウを見上げると、食べ終わって満足したように指をなめているところだった。蝋人形のような細く白い指も、甘くなっているのだろうか。
「甘いわね、本当」
「あ、ああ」
「でも、嫌いじゃない」
ご馳走様と笑ったソラウを直視できず、手の中に残ったドーナツを口に頬張った。もうしばらく、甘いものは摂取しなくても済みそうだ。