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あの虚空は燃えているか

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辺りを包む空気は、移ろう季節の温かみを感じることが出来ないほど、冷ややかで血腥いものだった。
梅の花が終わる手前、そろそろ桜の蕾が綻ぶ時季である。しかし、春の足音がひとつも響かない曇り空が、完全に夜が開けきっていない今日の始まりを暗く満たす。
穏やかに吹く風が、不気味に頬を撫で過ぎ去っていくのを感じながら竹中半兵衛は眼前を見据えていた。幾筋もの白煙が空に向かって延々と伸びていく。ゆらゆらとたなびく隙間から遠目に見えるのは、いま討ち落とされんばかりの小田原城天守閣だ。
本陣に立てた物見台から、半兵衛は崩れることのない微笑を湛えながら戦場を眺める。その直ぐ隣で立ち誇っているのは、半兵衛とは対照的に厳しく険しい顔付きの武人だ。半兵衛は自分の何倍もある大男を見上げて、「五年だ」と呟いた。

「ここまでくるのに五年。あとは小田原さえ攻め落とせば、この国は豊臣が掌握したに等しい」

ようやっとここまで来た。これからが本当の始まりだ、秀吉。
抑えきれない高揚を噛み殺すように低く、そして酷く甘さを含んだ囁きを武人に吹きかける。
秀吉と呼ばれた男、戦場を統べる軍隊の王は優勢にも関わらず表情を一切変えることはなかったが、軍師であり友人でもある男の言葉に唇の端を持ち上げた。半兵衛の知略通りに事は進んでいるが、「気を緩めるな」と一言返す。
半兵衛は、「老兵の最期の足掻きに掬われないよう気を付けるさ」と肩をすくめてみせた。
籠城している城の主を守ろうと重く閉ざされた巨大な門も、この日のために集められた兵達の総力によって打ち破った。城の本丸を固める北条の兵も、豊臣の精鋭共の圧倒的武力の前に為す術もなく倒れていくだろう。
火を放ってしまえば、鼠の如き小さな老体を炙り出すことなど容易い。豊臣の勝利は自明であり目前だった。冷静さを失うことは決してないが、それでも普段は冷たく痙攣を訴える指先が、燃えるように熱いと半兵衛は思う。体を駆ける血潮が沸騰している。
濃い血と硝煙が混じった悪臭が風に乗って鼻をついた。破壊と創造は表裏一体であり、それに犠牲は常につきまとう。光があるところに影は必ず現れるものだ。
半兵衛は深く息を吸って吐いた。ここからが本当の始まりだ。二人が夢見た何物よりも屈強な世界を創造することが出来る。
そのためには豊臣秀吉という男が国の光にならなければいけないと半兵衛は思考の糸を手繰った。
秀吉が国を照らす光ならば、己は光が穿つ影でなければいけない。未来を創るべき清廉なる覇者の隣に立つことはもう出来なかった。そこに立つべきたった一人の人間に意味があるのだ。だからこそ、表裏一体の影として深く暗い場所から孤独な王を守る必要がある。
相変わらず雲が立ち込める空は、春に相応しくない灰色だ。それでも早朝の明るさを取り戻しつつあるのか、朧に濁った白さが辺りを呑み込もうとしている。

「半兵衛よ」

良く通る低音が、軍師の思考を遮った。半兵衛が変わり映えない眼下の戦況から視線を秀吉の横顔に移し終わる前に、彼は友人を見据えて問うた。

「夜明けは、燃えているか」
「……ああ、燃えている。燃え盛っているよ、秀吉」

一瞬の虚をつかれたが、直ぐに半兵衛は目を細めて笑った。沈殿している群青から白み霞んでいく光景は、侵略そのものである。奪い尽くしても尚、求めるものがあるように、明けが夜を追いやった。
他者には理解出来ずとも、そこには二人が待ち望む未来の産ぶ声が確かに上がった。季節が萌えて、凍った土から新しい命が芽生えるように、古きを捨て新しい日々を積み重ねてきた。何としても、命が続く限り同じ修羅の道を歩んでいかなければ。
半兵衛と秀吉は、もう視線を交わすことなく口を閉ざす。意志の確認は、全て言葉にしなくても互いに通じる。完璧な従者ではなく、長く友として隣に座り続けてしまっただろうかと半兵衛は薄く苦笑した。
どこからともなく喝采が聴こえた。前方に聳える城の主の首でも、打ち取ったのだろう。
曇天にも関わらず落ちた城が、その奥の虚空が、朝焼けに赤く染まって崩れていく幻想を半兵衛は見ていた。