新しい二人
そう言って僕を見上げる凛々蝶さまの目には涙が浮かんでいた。
(僕が・・・僕が手紙を書いていたと・・・わかったのですね・・・。わかってくれたのですね・・・・・)
僕はもう、凛々蝶さまへの愛おしさを抑えられなかった。
「凛々蝶さまっ!!」
僕は彼女を思いっきり抱きしめてしまった。彼女を抱きしめるなど、恐れ多いことだと。僕のような犬が、彼女へ自分の気持ちを伝えるなど、恐れ多いことだと。頭ではそうわかっていたけれど。心が。僕の心が、もう偽ることを許さなかった。自分の彼女への気持ちを。
「いいえ、いいえっ!気づいてくださったのは貴女です!貴女です!凛々蝶さまっ!」
彼女を両腕で思いっきり抱きしめた。柳のように細い彼女は僕の腕の中にすっぽりと入り、力がすっと抜けて、僕の胸へすべてを預けてくれたような気がした。僕は彼女を抱く腕に更に力を込めて、彼女の長い髪に顔をうずめた。激情のまま、お互いを抱きしめた僕たちは、バランスを崩して、エレベーターの床に二人で倒れこんでしまった。でも、かまわない。もう、絶対に、彼女を離したくなかった。僕は犬で。不浄な犬で。彼女の傍にいる価値もない者。彼女に触れるなど。彼女を好きになるなど。そんな資格はない。わかってる。でも、でも、でも!!
「凛々蝶さまっ!凛々蝶さまっ!凛々蝶さまっ!」
僕は彼女の名を何回も呼んで。彼女の髪に顔をうずめて、彼女の頬に自分の頬を摺り寄せた。
僕の目から涙がこぼれた。
「泣いているのか・・?」
凛々蝶さまは僕の頬にその手を触れた。
「はい・・・はい、凛々蝶さま・・・うれしくて、幸せで・・・。凛々蝶さまが、気づいてくださったから。僕のことを。僕の存在を、僕と、貴女の・・・交わした気持ちに、時間に。言葉に・・・」
「御狐神くん・・・僕こそ・・・僕こそ、うれしい・・君でよかった・・・手紙を書いてくれていたのが、君でよかった・・・」
「凛々蝶さま・・・」
二人の涙が、二人の頬で、混じりあう。二人の視線が絡み合う。二人の気持ちが・・・ひとつになる。
凛々蝶さま。
貴女が僕に教えてくれたのです。
季節を感じること。
音楽の美しさを。
本の中の世界を。
夕日のはかなさを。
金木犀の香りを。
人を恋することを。
人を愛することを。
人を思うせつなさを。
すべて、貴女が僕に教えてくれたのです。
貴女が僕に、生きることを、教えてくれたのです。
貴女が僕を・・・暗闇から救ってくれたのです。
「凛々蝶さま、ありがとうございます。僕は・・・僕は、この身を、一生を、凛々蝶さまにささげます、喜んでささげます、貴女に尽くすことが僕のすべて。貴女のおそばにいられることが僕のすべてなのです!」
「御狐神くん・・礼をいうのは僕のほうだ。僕のこと、ずっと・・・君は見てくれていたんだね。僕のこと、ずっとわかってくれていたんだね・・・ありがとう」
「凛々蝶さま・・・もったいのうございます、そのようなお言葉、僕になど・・・」
「御狐神くん・・僕に尽くすなど、考えなくていいんだ。僕にばかり、縛られなくていいんだ。」
「そんな、凛々蝶さま!僕はもう不要だと!?」
「ちがう、ちがうんだ。ただ・・・君だけじゃない・・・僕も・・・君に救われていたんだ・僕も・・・君との手紙に救われていたんだ。・・だから・・・」
凛々蝶さまは僕の目をみつめた。
「僕も・・・御狐神くんの傍にいたいんだ。」
「凛々蝶さま!」
僕たちは更にきつくお互いを抱きしめた。
こんな僕でも。
貴女は傍にいていいと。傍にいたいといってくださるのですか!
ああ、僕は・・・幸せです!これ以上ないほど、幸せです!
いえ・・・・できれば・・・「これ以上」を望んでもいいですか?
愛していると。伝えてもいいでしょうか。
本当は、もう、「犬」では我慢できないほど。貴女を愛しているのです。貴女に恋焦がれているのです。貴女をもっと・・・抱きしめたい・・・
「凛々蝶さま・・・」
僕は彼女の頬を手を添えて、その瞳を覗き込んだ。
「凛々蝶さま・・・あいし・・・」
チーン!
そのとき、エレベーターのドアが開いた。
「ああ??なにしてんだー、お前たち?」
エレベーターはいつのまにか、屋上から一階に移動していたらしい。一階で、エレベーターを待っていた反ノ塚がそこに立っていた。彼の横に野ばらさんもいる。
「凛々蝶ちゃんっ!!御狐神くんと・・・そんな・・・朝からっ!!メーニアック!!」
「わわわ・・・っ!」
凛々蝶さまは真っ赤になって、僕の腕から抜け出してしまった。
「な、なんでもないのだ、僕たちはだな、昔話をしていたのだ、エレベーターを独占して悪かったな・・・」
「昔話?二人で抱き合って??」
反ノ塚が妙な突っ込みをいれた。
「いいのよっ!反ノ塚、黙ってなさいよ、あんた。エレベーターという密室に閉じ込められて、二人の熱い息は交じりあい・・・」
野ばらが、息をはあはあいわせて妄想にはいる。
(いえ、野ばらさん・・・まだ、息は交じり合っていないのです・・・)
僕は心の中でつぶやきながら、立ち上がり、凛々蝶さまの手を取った。
「失礼します、凛々蝶さまはこれからご朝食でございますので・・」
そう言って、彼女をエレベーターから外へ誘導した。
赤面しながらも彼女は僕に手を握られたまま、おとなしくついてくる。
彼女がぎゅっと僕の手を握る手の力を強めた。
(!!)
同じじゃない。
お互いの気持ちに気づいた今。
二人はもう、これまでの二人と違う。
僕は天にも昇る気持ちだった。自分に羽が生えたようだ。
(続きは。続きの言葉も。また、改めて・・・)
僕は心のうちでつぶやいた。