恋のゆくえ
上手い下手ではなく、声の主があまりにも楽しそうなため、誘われるように廊下を歩いてきたが、ドアの手前で立ち止まる。
最近、流行り始めたアイドルグループの歌、という選択は当人の若さか。女の子の可愛いらしい恋心をつづった内容を臆面もなく歌えるのも、彼女たちと年齢があまり変わらないせいだろう。
そっと、開かれたドアの向こうから、その横顔を観察した。赤い夕陽に照らされ逆光になっているせいで、表情は影となっていて見えないが、本人が詞を奏でる唇が綻んでいることが遠目からでもよく分かった。
自分のロッカーの前でトレーニングシューズの紐を丁寧に結ぶ横顔は、幸せそのものだ。
気付けば鼻歌から、しっかりと歌詞が聞き取れるほどの声で歌い出している。
気配を押し殺して廊下からのぞいていると、ぽんと肩を叩かれ振り返ると指揮官の達海が立っていた。
人差し指を唇に押し当てて、静かにというしぐさを見て、目線だけで分かった、とうなずいた。
トレーニングシューズの紐を結び終えると、世良は履き心地を確かめるため、シューズを履いた。紐をきっちりと締めるとその場で軽くジャンプをする。
二人は無言のまま、ロッカールームで一人、トレーニングシューズの履き心地を試す世良を見ていた。
すると突然、世良は歌いながらステップを踏み出した。
どこかで余興でもしたのだろうか、腕を振って踊る姿が様になっている。世良は、誰もいないことをいいことに振付をつけて歌い出した。
廊下では、石神と達海が口を手で押さえて必死で笑うのをこらえていた。
突然、達海に背中を突き飛ばされ、石神はたたらを踏んでロッカールームに足を踏み入れた。
達海に文句を言おうと振り返ると、ドアの向こうで人の悪い笑みを浮かべていた。同時に背後から世良の叫び声が聞こえる。
「わぁっ。何スか!」
大きな足音と、突然姿を現した石神を見た世良は、飛び上がらんばかりに驚いた表情を浮かべていた。
振付の途中で固まる世良を見た石神は、噴き出しそうになったが、かろうじてこらえる。我慢すると脇腹の筋肉が痙攣しそうになって痛かった。
「世良、ごめん」
ひどくあわてている世良に向けて石神は、両手を合わせる。
「ずっと、黙って見ていてごめん」
「えーっ。見ていたっスか」
世良は、突然のことにパニック状態になっている。
ただ、踊っているところを見られたことが分かると、恥ずかしそうに顔を赤くさせて困り眉になっていた。
「うん。あっちで達海さんも見ていた」
顔色を変えずに石神は顎をしゃくると、ロッカールームのドアに背中を預けた達海は、のけ反って笑っている。
「世良……お前、面白いっ……ぷっ。くくっ」
息も絶え絶えに笑っている達海を見て、世良は怒るよりも恥ずかしい。穴があったら入りたいと思った。
「あの、いつから見ていたっスか」
「えーっと。靴紐を通しているくらいから」
石神は、世良の足元のシューズを指さす。
「じゃあ。本当にずっと見ていたっスか」
「うん。楽しそうに歌っていたから、俺たちは邪魔できなかったんだよ」
しれっとした顔の石神はそう言って、黙って見ていてごめんね、と再び頭を下げた。
「謝る必要はない気がするっスけど」
「恥ずかしいかな、と思って」
「そりゃ、恥ずかしいっスよ」
顔を真っ赤にさせた世良は、頭を抱えて座り込んだ。
「俺ってバカだなぁ」
「うん。そうだね」
「そうはっきり言わないでくださいよ」
しゃがみこんだままの世良は、恨めしそうに石神を見上げる。
その表情が、飼い主に叱られてしょげかえっている犬のように思えて石神は、世良の頭をごしごしとなでた。
髪をぐしゃぐしゃにされた世良は力なく、止めてくださいと、つぶやいた。その言葉を無視して、指先から伝わる柔らかい感触に気をよくしてなで続けていたが、世良が嫌がるように頭を振った。
仕方なく石神は、手を止めると名残を惜しむように乱れた髪を梳いた。