境界線
俺には壊す事しか出来ない
境界線
ヒュンと風を切るような音を鳴らし教室を横切った机は、ガタンと轟音を立てて壁に埋め込まれた。
放物線なんてものではなく、机によって描かれるのは直線のみ。
肩を掠る寸前の距離でそれを避けて、完全に止まった机の軌道を横目で確認してから、臨也は視線を此方に寄越した。
向けられるナイフと同じくらい鋭い眼光と、純粋な濁りのない殺意。
「教室の中で暴れるなんて感心しないなあ」
大仰な仕草で両手を広げると、呆れた様に息を吐いて肩を竦める。
ナイフが窓から差し込む西日を反射して、白い光が眼を焼いた。
「お前が逃げるからだ」
「逃げる?俺が?いつ、何から?」
余裕の笑みを湛えていた臨也の顔から、表情が消える。
俺と違って臨也は激昂したりはしない、こいつのは怒りという感情すら嘘くさくて信じられない。
こいつに感情というものはあるのだろうか。
纏う空気は酷く、冷たい。
視線が俺ではない部分を彷徨った。
この狭い空間では分が悪いと感じたのか、臨也が素早い動きで俺の視界から外れようとする。
その行く手に机をまた一つ、投げ込んだ。
舌打ちをしてそれを飛び越えようとする、が、それをさせるつもりは毛頭なかった。
机と同時にスタートを決め込み、臨也の背後を取る。
腕を掴み、力の限り壁に叩きつけた。
背中から打ち付けられた衝撃によって肺から全ての息を吐き出した臨也は、反動で急激に入ってきた酸素に咳き込む。
触れてしまえばそれは、あまりに弱弱しいものだった。
壁に押さえつけた手首が細い。
俺じゃなくとも少し力を入れれば折れてしまいそうだ。
隙を狙ったようにナイフを振り上げた手を掴んで、左腕と同様壁に縫い付ける。
距離をここまで詰めてしまえば、身動きを封じることなど容易かった。
「俺から逃げるな、臨也」
臨也の両腕を一纏めにして片腕で押さえ、空いた手で顎を掴む。
抵抗するのもお構いなしに無理矢理こちらを向かせると、潤んだ瞳が俺を捉えた。
「臨也」
名前を呼ぶと、聞きたくないとばかりに首を振る。
濡れた長い睫毛が揺れるのを目の端に見ながら、俺はそっと顔を近づけた。
触れ合った薄い唇が小刻みに震える。
頑なに閉じられていた唇を舌でなぞると、鼻に抜けるような声を上げて臨也が身を捩(よじ)った。
湿り気を帯びた吐息が漏れる。酸素を求めるように開かれた隙間から舌先をねじ込んだ。
「ン、やだ・・・静ちゃ、やだ・・・」
目を閉じたまま拒絶の言葉を口にする。
押さえていた腕を開放すると、初めは拒むように肩を押していたが、そのうち縋り付くようにシャツを掴むことしかしなくなった。
白い指先が、シャツ越しに皮膚へ爪を立てる。
拒むにしろ縋るにしろ、迷いばかりの中途半端な仕草でしかない。
どっちつかずで曖昧な所は、俺たちの関係によく似ていた。
下手をすれば片手で潰せてしまいそうな肩。
抱きしめる腕が、無意識に震えた。
俺を睨みつける事しかしなかった双眸から、容量を越えた様に涙が零れる。
眦を伝う雫を舌で舐め取ると、耳元で引きつったような声がした。
「だから静ちゃんが嫌いなんだ――勝手に俺の中に入ってきて、勝手に壊してく」
喉の奥から絞り出したような言葉。
涙交じりの訴えに、湧き出すのは自嘲の様な笑みだけだった。
臨也の肩口に顔を埋めて、静雄はただ唇の端を上げる。
「悪いな、」
俺には壊す事しか出来ない
作品名:境界線 作家名:蒼氷(そうひ)@ついった