国の記憶と友の絆
ここ、ベルリンでも雪が積もっている。そんな寒い日の出来事――
ピンポーン!
「ドイツー!いるー?ドイツー?」
玄関の鍵は開いているので、中に誰かいるはずなのだが、応答がない。
「……おかしいなー。今日は休みだって言ってたのに。ドイツー?勝手に入るよー?」
イタリアは、勝手知ったる他人の家とばかりに、片っ端からドアを開け、ドイツを探し始めた。
「ドイツー、どこー?」
物置や、下駄箱、ご丁寧にクローゼットの中まで確認する。
――ふと、シャワールームから水音が聞こえることに、イタリアは気がついた。
「ドイツ、シャワー浴びてるのかなー」
ガチャッ
「――ぬわっ!イタちゃん!?」
「あっ、プロイセンの兄ちゃん。ドイツ知らない?」
「ああ……ヴェストならリビングにいるはずだぜ?」
「ヴェー。わかったー、ありがとー!」
バタンッ!
「どうしたんだ?」
――ガチャッ!
「ドイツー!ここにいるのー?」
「ああ……イタリアか……」
そう返答したドイツは、毛布に包まり、窓際で膝を抱えていた。いつもは、後ろに撫で付けられている髪が、今は下ろされているため、どことなく幼く見える。それに加え、彼の顔に常日頃の凛とした覇気は感じられず、どことなく弱弱しい。
「……ドイツ何かあったの?」
「聞いてくれるか、イタリア……夢を見たんだ。」
そういって、ドイツが話し始めたのは、幻想や妄想などの夢ではなく、実際に約70年前、彼ら枢軸の辿った末路。そして、それに至るまでの、数々の惨劇の記憶だった。
第二次世界大戦。それは、あまりにも多くの辛い記憶の残る戦争だった。国の中でも、若い部類に入るドイツにとっては、なおさらである。
戦後70年経ってもなお、ドイツは苦しんでいた。
「覚えてるか?イタリア。お前が連合側に降伏した後も、俺や日本は戦い続けた。俺たちの存在をかけ、そして多くの国民を失った。俺が負け、日本が負け、そして――すべてが終わった。
終戦してから少し経ったある日、お前は、俺の病室をこっそり訪ねてくれたよな。フランスやイギリスの厳重な監視下に置かれていたにも関わらずにな。お前の顔を見た瞬間、俺のした事は、無駄ではなかったんだ、と心から思えた。大切な友を守れた。それだけで救われた気がしたんだ。あの日は、窓から心地良い風が吹き込んでいたっけな――」
遠くを見つめたまま、どこか悲しそうに、そして懐かしそうに、ドイツは話し続けた。
いつもより口調が和らいでいるのも、口数が多いのも、ドイツの意識がここに無いからであろうことは、容易に想像がついた。
だが、それを無言で聞いているイタリアは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(監視の目を掻い潜って、終戦後にドイツに会いに行った日……)
――壁も、床も、カーテンも、何もかも真っ白なその病室で彼は、窓の外を眺めながら、ベッドに腰掛けていた。
『ドイツ!』
そう言っていつものように、イタリアがハグをしに行けなかったのは、自分が一足先に連合側に降伏し、枢軸側を裏切る結果になってしまった罪悪感だけではない。
それは――ドイツの怪我の度合いが、イタリアの予想を遥かに上回っていたからである。
ドイツの右腕は折れているのか、ギプスがつけられ包帯で固定されている
左足も、膝から下が器具で固定されていることから、折れているのか、はたまた骨が砕けているのか――なんとなく想像がつく
包帯が巻かれていない箇所は少なく、顔や首、そして手などからしか、皮膚を見ることは出来ない
しかし、その、包帯が巻かれていない箇所も、数々の裂傷や火傷などで痛々しい
シャツで隠れてはいるが、体に巻かれた包帯が、うっすらと透けた生地の下から確認できる為、腹部や、胸部にも相当の深手を負っているのだと予想できる
「……ドイツ……俺……ごめんなさ――」
「謝るな、イタリア。それより、何だ、その顔は。お前らしくないじゃないか。いつもの元気はどこに行ったんだ?笑った顔が、お前には一番似合う。」
そう言ったドイツは、ただ優しく、イタリアに微笑んだ。
――ふ、と気が付くとイタリアは誰かに頭を撫でられている事に気がついた。
場所も、さっきまで窓辺のドイツを見つめるように立っていたのに、ソファに座っている。
「イタちゃん。大丈夫か?ほら、これ使え。」
プロイセンにそういって差し出されたハンカチを見て、ようやく自分が泣いているのだと気づいた。
「あの戦は、ヴェストにとっても、イタちゃんにとっても……俺にとっても辛い記憶だ。色々思い出す事もあるさ。」
「兄さん……」
「ほら、お前も顔拭け。ひっどい顔してんぞ……ヴェスト、あれはお前の責任じゃない。あの戦の責任ってのは俺ら国が背負うべきものではないんだよ。」
「しかし――ッ」
そう言って勢いよく立ち上がったドイツを、プロイセンは己の方へ引き寄せ、ソファに座り直し、後ろから抱きしめた。
「俺ら、国がなすべき事は、過去を悔やんで、責任を感じて己を責めたり、立ち止まることじゃない。過去の経験を未来に生かし、惨劇を人々の記憶から忘れ去られないようにする事だ。そうだろ?ヴェスト、イタちゃん?」
「う……うん。俺は色々思いだせないことはあるけど、忘れたわけじゃないし。何かの機会があれば思い出せる。」
「そっか。ヴェスト、お前は見た目は厳ついが、国としてはまだ若い。そうやって、フラッシュバックに悩まされてるようじゃ、『国の記憶』ってやつと、どう向き合っていくか、まだまだ修練が足りないってことだな。」
「ああ……すまない、兄さん、イタリア……」
「だがな、ヴェスト。今は泣きたいなら泣けばいい。お前は一人じゃないんだからな。」
「そうだよ、ドイツ。俺たち仲間でしょ?俺のことも頼っていいんだよ。一応お兄さんなんだし。」
そう言ってイタリアは、優しくドイツを抱きしめた
1時間後――
「――ヴェスト、寝ちまったな」
「だねー。ドイツって、普段泣かないから、疲れちゃったんだねー。」
「ところでイタちゃん。なんで今日はうちに来たんだ?」
「あー……今朝、大戦中のことが、夢に出てきたんだ。それで――」
「それで、怖くてヴェストのとこにすっ飛んできたってわけか?」
「嫌な予感がしたんだ。よくわかんないけど、ドイツの所に行かなきゃって思ったんだ。」