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 いつもより少し早く目が覚めた。時計の針は目覚ましの鳴る30分前を指していて、カレンダーは自身の誕生日を指している。ベッドの中で硬くなっていた身体をほぐすように伸びをした。誕生日か。乾いた喉から出た声には何の感慨もない。

 一階に降りると、母親が朝の挨拶と共に誕生日おめでとうを言った。若干の気恥ずかしさと感謝を感じながらもラケットバックを手にして足早に家を出た。記念日だろうが誕生日だろうが、土曜にも部活はある。



「また千歳はおらんのか」

 練習開始時間を過ぎても、相変わらず千歳はいなかった。名簿欄に大きくバツ印をつける。今日の練習試合の組み合わせを作っている間、残念がっている自分にふと気づいて嫌気が差した。千歳が部活を勝手に休むことなんて珍しくもなんともないのに、むしろ学校が休みの土曜の練習の出席率は恐ろしく低いのに、何故だか今日は来るのではないだろうかという気がしていた。それは勘というより願望に近かったのかもしれない。深いため息と一緒にわずらわしさも吐き出してから、準備運動が終わり談笑の始まっていた部員たちに向かってオーダーを叫ぶ。今日だっていつも通り、自分の与えられた仕事とメニューをこなすだけ。グリップの感触もボールの重さも変わらない。

「今日白石誕生日やったんちゃうっけ?」

 汗で濡れたユニフォームを脱いでいると、謙也がカッターシャツのボタンを閉めながら思いだしたように呟いた。あ、ほんまや。自分も今気づいたかのように口に出すと、思っていたより自然であったことに驚く。着替えのついでのようなおめでとうを聞いていると、オサムちゃんが私物化していた冷蔵庫からコンビニのものらしきケーキを出してきた。いつ使ったか忘れてしまったクラッカーの残りが破裂するのを見ながら、今日一日開けられていないロッカーを視界の隅に映す。気分が悪い。

「これからどっか行ってお祝いしよやー!」
「すまんな、今日は用事あんねん」

 そうかー残念やなあ、と口をとがらせる謙也の優しさに胸を痛ませる。またな、と短く別れの挨拶を口にして、多少の罪悪感を抱えながら気分を悪くさせる原因の元へ足を動かした。馬鹿らしいとは思いながらも、止まらない足。



「遅かったとね」
「アホ」

 握りしめた拳を振ってもやすやすと捕らえられてしまう。涼しい顔をして俺を迎え入れた千歳は、いつも通りのゆるい服装でへらへらと笑っていた。腹が立つ。俺は勝手に靴を脱いで上がり込んで、目の前に正座させるよう無言の訴えを全身から出す。大人しく千歳は正座をすると、首を少し横に傾けてこちらを見ていた。

「何かいうことあるやろ」
「んー?何やろねえ」

 タチの悪い確信犯の考えるフリをしている顔を見て、唇を噛む。どうしてこんな奴に振り回されなければいけないのか。

「誕生日や」
「うん」
「……」
「おめでとう?」
「何で疑問形やねん」

 少し端に寄ってしまったケーキをぶっきらぼうに突きだすと、台所へふらり立ち上がって箸を持ってくる。箸て。ケーキやぞ。顔をひきつらせながらも、大人しく箸を受け取って食べる。千歳は器用にイチゴを箸でつまんでこちらへ乗せた。

「プレゼントのつもりか」
「いらん?」
「いらんわ」

 困ったようなめんどくさがったような、変な顔をした千歳が乗せたばかりのイチゴを口で咥えて、おいでおいでをする。鏡を見なくても自分の顔が今嫌悪に塗れているのがわかった。イチゴを咥えたままの千歳が距離を詰める。千歳の手のひらの熱が後頭部に周り、諦めて目を瞑った。ぬるいイチゴが口の中に入り舌でぐしゃりと潰されると、果汁が口の隙間から漏れる。唾液と一緒にすすると薄まった甘酸っぱさが喉を通った。

「……最低やな」
「そ?」

 まるで何もなかったかのように千歳は箸でケーキを切る。すっかり潰れてしまったクリームを無理矢理俺も口に突っ込んで、不快感を飲み込んだ。



 突然のテニスがしたいという要望に、意外にも千歳は快く了承した。近所にある古びたテニスコートは殆ど使用者がいないのか、ネットはゆるく下がっている。千歳はそれに気づいているのかいないのか、反対側のコートにそのまま入ってしまった。どうぞ、と促されてサーブを打つ。さっきの様子とは打って変わりその眼は真剣で、難なくボールはこちら側へ返される。今日一日溜まっていた鬱憤を込めるかのように、グリップを握る手に力が入った。ラケットを振りぬく音に苛立ちと負けたくないという気持ちがにじみ出ていた。ラインぎりぎりのボールにも千歳は的確に返してくる。ふっとスイッチが切られたかのように、お互い無言でただボールを返した。闇が濃くなる空気の中で、ただひっそり負けないという気持ちを燃やしながらラケットを振る。じんわり額から汗が出てくる感覚すら目の前を見据えるのに邪魔だった。



 結局どちらが勝ったかはわからない。あまりにも夢中になりすぎたようで、カウントを忘れていた。汗で濡れたシャツを掴んで肌に空気を浴びせながら、荒くなった呼吸を整えて千歳の家に帰る。



「ほんとは」
「おん」
「一番にお祝いしたかったとよ」
「……知ってた」

 汗臭い身体を寄せ合って布団に倒れ込んだ。千歳の声が耳元で聞こえる。

「ごめんね」
「ええよ」

 知ってたって。口の中でもごついた言葉は枕の中に沈んでいく。不器用だから、こうして色々遠回りして引っ掻き回してぐちゃぐちゃにしないと本当のことなんて言えない。千歳の腕が身体を包む。

「おめでとう」
「おん」
「来年は一番に言うばい」

 どうやろ。多分、また来年も千歳はわざと俺を怒らせて、俺はそれを許しながら待っているのだと思うけど。



作品名:414 作家名:やよ