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桜下に対酌す

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奥州にもようやく遅い春が訪れ、夜の闇にも紛れることなく薄桃色の花が咲き乱れている。風が吹けばそれは暖かい吹雪となって舞い散る。空には満月。この様を風流と言わずして、他の何をそう呼べようか。
 眼前の光景に心底感嘆しながら、政宗は細い山道を独り、手に酒を携えて登っていく。既に自室で酒を飲み、少々頭はぼんやりしているが、足取りはまだ確かだ。
 近頃は大きな戦もなく、いつもどおりの政務をこなす日々が続いている。退屈を感じているわけではないが、心を動かす何かが欲しい。そう思って、寝静まった屋敷を抜け出し、街を抜け、こうして一人で夜桜を眺めに来たのだ。彼の側近に知られれば、大目玉を食らうことは簡単に想像できる。
 「まったく、何やってんだかな。アンタもそう思うだろ?」
 そう呟いた視線の先には。ひと際目立つ大きな桜の木があった。そしてその下には、見慣れた好敵手の姿。
 「はい。……ですが、風流心を大切にせよと某に仰ったのは、貴殿でしょう?」
 「違いねぇ。」
 はは、と笑い、幸村の隣に腰掛ける。幸村も政宗と同じ様に徳利を下げてきていたが、どうやらそれはもう既に空になっているようだった。酒に強くない政宗に比べ、幸村はいくら飲んでもそれほど酔ったためしがない。それを政宗は、少しだけ悔しく思っている。
 幸村の盃に酒を注いでやると、幸村はそれを一度に飲み干してしまう。
 「アンタは相変わらずざるだな。どんな身体してんだ?」
 幸村が、今度は政宗の盃に酒を波波と注いでいるのを見つめながら政宗が尋ねる。返事がないので酒に少し口を付け、唇を濡らす。それを見た幸村が悪意の無い笑顔で「政宗殿は相変わらずの下戸のようでござるな。」などと言うものだから、政宗は舌打ちして一気に呷った。流し込まれた酒は咽喉を通り、身体を温める。随分暖かくなってきたとはいえ、夜になれば着流しきりではまだまだ冷える。
 「そういえば、先程の話ですが。」
 「何か言っていたか?」
 「風流心の話です。」
 手酌でまた一杯、呷る。
 「某、幼い頃より武芸に打ち込んでまいりました故、風流だの雅などには見向きもしませんでした。武士たるもの、そのようなことに現を抜かしていてはならぬのだと、堅く信じていたのです。」
 「現を抜かす、とは言ってくれるぜ。」
 「仕舞いまでお聞きくだされ。しかしそのような某が、政宗殿と出会い、手合わせのみでなく酒席を共にしたり、文を交わしたりして貴殿の想いに触れ、考えを改めたのです。」
 政宗が酌をしてやりさらに一杯、呷る。政宗もそれに倣ってちびりと流し込む。
 「風流とは、美しいものに心を動かすこと。それは、人として、ごく当たり前の感情なのですね。花が綻ぶのに心を喜ばせ、散りゆく花に憂いを感じる。武士だのなんだのという前に、心を持った一人の人間として、そのように感じるのは間違いでも軟弱でもないのだと。そう気付かせてくれたのが、政宗殿なのです。」
 「……何こっぱすかしいこと、抜かしてんだか。」
 それからは、互いに酌をしながら、口もきかず眼前の美しい光景に心を喜ばせた。時間がゆったりと流れていく。こんな時間がずっと続けばいいのに、と柄にもないことが心に浮かんだので、政宗はこっそりと口元に笑みを浮かべた。

 やがて、政宗の下げてきた徳利も空になってしまった。やってきた時よりも頭はぼんやりしているし、瞼も重くなってきた。足を崩して、ごろりと横になる。胡坐をかいた幸村の腿を枕にして。ごつごつしていて寝心地がいいとはお世辞にも言えないが、何よりこの暖かさが、気をよくさせた。仰向けになって見上げると、見たこともないくらいに焦った幸村の顔が見えた。これで酒量のことでからかわれたのにお返しができたなと、心の中でほくそ笑む。
 薄く雲のかかった満月が浮かび、満開の桜が舞い、ここに幸村がいる。なんて素晴らしい夜なのだろう!
 「Hey,darling. Kiss me!」
 「ま、政宗殿、某南蛮の言葉は……。」
 「口吸えっつってんだ。Understand?」
 「な!?そ、そ、そ、そのようなこと……!」
 顔を真っ赤にして慌てふためく幸村を見て、政宗はケラケラと声を上げて笑う。政宗がすっかりでき上がっているのを悟って、幸村は溜息をついた。
 「まったく、性質の悪い冗談はおやめくだされ」
 「Sorry.だがな、これだってアンタがさっき言ってた風流ってやつじゃないか?」
 風流とは、何も美しいものを愛でるだけのものではない。自然の美しさを愛で、人の、ことに色恋事の機微に敏くなること。だからどこぞの風来坊の言っていることも、分からないではないのだ(もっとも、彼の場合はあまりに後者に重きを置き過ぎているきらいがあるが)。もっとも先の政宗の言葉は建て前で、接吻しろと迫っているのは酔っているのを言い訳にした、ただの我儘にすぎない。
 「だから、な?」
 「う……、わ、わかりました……。」
 ごくりと唾を飲み込む音が聞こえて、幸村の顔が近づいてくる。緊張したその面持ちが可笑しくて、政宗は笑みが込み上げてくるのを堪えて目を閉じてやった。互いの呼吸が感じられる距離まで近づいたところで、躊躇うように幸村の動きが止まる。それに焦れた政宗は、手を伸ばして幸村の頭を軽く押さえると、観念したようにようやく唇を合わせた。幸村の唇は薄くて少し乾燥していて、腿と一緒でやはりそれ自体は心地良いものではなかったが、こうして唇を重ねているということが、政宗にとっては大切だった。
 接吻は触れるだけのもので、政宗が手を離してやると、同時に幸村の唇も離れていった。困ったような表情を浮かべる幸村の頭を、政宗はもう一度手を伸ばしてわしわしと撫でてやる。そうしながら、政宗は注意深く幸村の瞳を覗き込んだ。狼狽したように視線を逸らそうとする幸村の瞳の奥に、僅かだが欲の色を見つけた気がして、政宗は口角を上げた。
 「hum……そんな目もできるんだな、アンタ。」
 「な、何のことでしょうか。」
 「まぁいいさ……どっちにせよ今晩は、おあずけだ。」
 欠伸を一つしてから、政宗は起き上がった。
 「悪いが、ひどく眠い。俺に会いてぇってんなら……また、屋敷まで来い。」
 覚束ない足取りながらも、幸村に背を向けて、政宗は数刻前に登ってきた山道を戻り始めた。
 「じゃあな、真田。今宵は楽しかったぜ。……幻だったとしても、な。」
 ちらりと振り返った視線の先にはもう既に幸村の姿はなく、薄桃色の花吹雪だけが、変わらず舞い散っているのだった。


 了
 
 


作品名:桜下に対酌す 作家名:柳田吟