約束の明日
バンエルティア号の甲板の後方で、潮風に翻る緋色のマントが視界に入った。
漸く捜していた人物を見つけ、カイルは嬉しそうにその細い背中へと駆け寄る。
「リオン!…捜したよ!急に何処かに居なくなっちゃったから。」
「……僕が何処に居ようと、お前には関係無い。」
やっと見つけたというのに、捜し当てた当人ときたら、ふい、と顔を逸らし、煩そうに眉を顰めるだけだ。
無理もない。
わざわざ高い段を乗り越えないと足を踏み入れられないこの場所に居るのは、どう考えてもこの船の中で1人になりたいからに決まっている。
それでもカイルには今、どうしてもリオンに会わなくてはならない理由があった。
「そうなんだけどさ。…リオンには、会えなくなる前に、どうしても云っておきたいことがあったから。」
「…フン。どうせまた失敗して、出戻ってくるのがオチじゃないのか。」
「あはは!そうかもね!…それでもいいんだけど。でも、ハロルドが今回こそは大丈夫!って張り切ってたから、…」
真昼の海を見つめる、何処か憂いを帯びた端正な横顔は、決して隣のカイルへと視線を向けようとはしない。
これも、予め解っていたことだ。今の彼に、何を言っても相手にされないことは。
それでも。
…どうしても、伝えたいことがひとつだけ。
「…あのさ、リオン。ニアタに聞いたんだけど…、…世界って、いろんな次元にいっぱいあるんだって。この世界の他にも、俺の居た世界があるみたいに!」
「……それがどうした。」
「だからさ!」
一際大きく答えたカイルが、船の縁へひょい、と大きく身を乗り出した。
思わず反射的に視線を向けたリオンの視線と、縁に飛び乗って腰を下ろしたカイルの視線が初めて交差する。
「…だからさ。この世界にも、いつか俺が現れたら…会いに来てくれる?」
「………そんな不確定な、…」
「会えるよ!…だって、…」
カイルが慌てて、しまった、という表情と共に、掌で口を押さえる。
そんな様子を胡乱げに見遣ったリオンが、目を伏せて大きく息を吐き出す。
「…話にならないな。仮に、この世界にお前の世界と同じ人間が存在したとしても、だ。…今の記憶が無い限り、それはお前じゃないだろう。」
だから、そんな約束はできない。
そう淡々と語る彼は、何処か寂しそうに見えた。
そう思うのは、必死に自分の感情を隠そうとする、仮面の奥の紫電の瞳を知っているからだろうか。
「…うん。でもさ、…やっぱりこれっきり会えなくなるのは寂しいから。…俺も会いに行くよ!俺の世界に居る、リオンに!」
「………お前の世界の、僕…か…。」
「うん!…だからさ、リオンは…」
すとん、と船の縁から飛び降りた少年が、自分とあまり変わらない背丈の黒髪に手を伸ばす。
首の後ろにするり、と回された両腕に、強い力で引き寄せられ。
「……この世界で生きて、…幸せになって?」
今までに聞いたことが無いほど、真剣な声で耳元に囁かれた。
何かを言う前に、あっさりと解けた柔らかな拘束は、ふわり、とした金髪の感触だけを頬に残していく。
「…おい、カイル…、…」
「…俺、そろそろ行かなきゃ!…元気でね、リオン!」
ぶんぶん、と音がしそうな程に両手を振りながら、満面の笑顔が遠ざかっていく。
何故か胸に去来する、言い様のない感覚に。追い立てられるように、思わず口にしていた。
「…解った。約束だけはしてやる。…この世界のお前を、捜せばいいんだな?」
数メートル先で、ぱちくり、と蒼い双眸を瞬かせた少年が。
その一瞬後に、にっこりと笑って大きく頷いた。
遠ざかる、何かを堪えるような紫電の瞳に、既視感を覚えつつ。
(…18年後に、また会おうねー。)
そんな約束を、心の中だけで告げながら。