噫、美しや彼の花の赤
勉強に疲れたとき、悩みがあるとき、ハルはいつも土手に来ては空を眺めた。そうやってただ大きな空と自分を比較して、自分の考えていることなどなんて小さなものだろうかと気持ちを切り替えている。目の前がグラウンド、遮るモノがないこの場所は、大空に包まれるには最適な場所だった。土手にやってくると、ハルはいつものように土手上の道から、斜面を少し下りた辺りに腰を下ろす。大抵、目の前のグラウンドでは地元の学校の野球部が練習をしているのだが、どういう訳か今日は誰もいない。恐らく今日は部活がないのだろう、とハルはサワサワと風の音だけが聞こえるこの青い空間に意識を差し出す。
今考えれば飛び出してきてしまったのは、すごく子ども染みた行為だと思う。ハルは、家庭科の授業で作った、先生に褒められたエプロンをツナに見て貰いたくて彼の家に行った。丁度、窓から顔を出していた彼に声を掛けると、ハルまた来たのかぁ、とツナは少し呆れ気味に笑ったが、すぐに玄関にやってきて部屋に通してくれた。今母さんにお茶貰ってくるから待ってて、そう云い残して、ツナは階下に下りていく。暫くすると、チャイムが鳴り響き、ハルも良く知る少女の声が聞こえてきた。外から帰ってきたのか、この家に住む子供の声とこの家の優しい母親の声、それに混じってツナの明るい話し声も聞こえてくる。
その時、少し、先程の自分に対する迎え方と、尋ねてきた少女への迎え方に温度差を感じてしまった。すると少女が何か言うのが聞こえ、わぁっ、と騒がしくなる。ハルは、そっと階下に下りて皆の声がするリビングを覗いてみた。そこにあったのは少女が子供達やツナ、その母親の奈々に囲まれて楽しそうに会話をしている姿。すごく楽しそうだった。皆はすごく楽しそうで、それと反対にハルは哀しかった。其処には自分の入る余地がないかのように、完全なる空間が存在していて、自分だけが取り残されてしまったようだったのだ。だからそっとその家を出た。
くだらない、本当にくだらない。ハルは自己嫌悪に陥る。大きな空と小さな自分。空が落ちてきて自分を飲み込んでしまえばいい、とすら思う。京子ちゃんはいいな、ぽつりと零し、ハルは少女のコト思い出した。いつもニコニコ笑っていて、子供から大人まで誰からも好かれて……、そしてあの人にも好かれている。ハルは少女が羨ましかった。そして、少しだけ嫉妬してしまったのだ。少女は自分の友達でもあった。ハルもその少女のことが大好きだった。だから、少しでも嫉妬してしまった、そんな自分が許せない。情けなくて、自分に腹が立って、じわりと涙が溢れてくる。ぐっと堪えていたがハラリと涙が零れ落ちた。周りには誰もいない。サワサワと風の後だけが響く。うっ、と声が口から漏れそうになった。
うわぁぁあぁあぁぁあぁぁん! ハルー!
突然聞き慣れた泣き声と自分を呼ぶ声が聞こえてくる。振り返るとランボが泣きながら土手上の道に立っていた。驚いたハルはとりあえず、ランボを自分の横に坐らせ、ぐすぐす、と鼻を啜るランボの頭を優しく撫でる。するとランボは、今日もリボーンがおれっちを無視するんだもんね、と云ってハルの制服の裾をぎゅと掴んだ。
この小さな子供は、これまたさらに小さな子供につきまとって、いつも痛い目に遭わされているのだ。またか、とハルは苦笑して、ランボちゃんはリボーンちゃんが好きですねぇ、と続けた。その言葉にランボは、とっても不本意だと云わんばかりの顔をする。ランボさんはリボーンなんか嫌いだもんねっ、そう勢いよく答えたが、一寸俯いてくと小さな声で付け足す。でもリボーンに無視されるとこの辺がぎゅっとするんだ。そういうと、5歳児相応の小さな手で自分の胸の辺りをぽんっ、と叩いた。
ぎゅぎゅぎゅって痛いけどランボさんは我慢の子だから平気だもんね。そう云うとランボは隣に坐るハルの身体にすり寄った。子供独特の甘える仕草だ。ハルは黙ったまま子供の肩を撫でて応えた。暫くそうしていると、思い出したようにランボが空を見ながら言う。
「イーピンはいいな、いっつもリボーンに話してもらえて」
その言葉に、ハッとして、ハルはランボを見つめてから、ひし、と抱きよせた。ハルどうしたんだ? と子供は不思議そうに見上げる。それに対して、ハルもこの辺が痛いです、そういって胸の辺りを指さし、それを見て子供は、おそろいだもんね、と少し笑った。
暫くそうしていると、ハルー、ランボぉー、と二人を呼ぶ声が聞こえた。その声にランボは振り向くと、ツナだもんねっ! といって飛び跳ねて自分の居場所を知らせる。リボーンを肩に乗せたツナは、駆け寄ってくると、お前ら急にいなくなってるからびっくりするじゃないかっ、と怒り出した。
「京子ちゃんもさぁ・・・ハルが来てるって云ったらすっごい喜んで、母さんもタルトが上手く焼けたって云って。とにかく、早く帰ろう? みんな待ってるから・・・ランボも勝手に出ていくなよ、このおバカっ!」
一気に喋り終わると、ツナは二人を促す。ツナの言葉に、ハルは大きな勘違いをしていたことに気付かされる。自分を取り巻く人達は、決して自分を忘れてしまう人達ではないのをハルはよく分かっていた。人のモノの方が良く見えてしまうコトがある。まさにそれだった。そんな自分が恥ずかしくてまた少し泣きそうになっているハルにツナは気付かない様子で、
「お前ら何してたんだよこんなトコで」
と尋ねる。ハルは、泣いてました、なんて云えないモノだから、内緒です! と応える。それを聞いてランボは、ツナの肩を降りて自分の前をトコトコ歩くリボーンに
「リボーンにも教えてあげないもんね」
と嬉しそうに云った。それに対してリボーンは、オレは端っからアホ牛なんかに興味ねぇぞ、と一蹴する。むかつくぅー、とランボは不満を漏らしたが何処か嬉しそうにハルを振り返った。
「ランボさんもう痛くないよ! ハルは?」
そう尋ねるランボにハルは、
「ハルも痛くないですよ!」
と、笑って応える。二人の会話にツナは、具合悪かったのか?と尋ねたが、秘密ですっ、秘密だもんね、っと云われてしまう。訳が分からない、とツナはリボーンを見つめたが、リボーンも肩をすくめただけだった。
作品名:噫、美しや彼の花の赤 作家名:Callas_ma