85:主
諸人こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
「お客さんごめんなさい、今満席で…」
ガルデンが酒場のドアを開けると、忙しく料理を運ぶウエイトレスにそう告げられた。
これで3軒目。ガルデンは苦笑しつつ閉じてすらいないドアを再びくぐった。
今日はこの地区の宗教では聖夜と言われる祭りらしく、どの店も住人や観光客で席が埋められていた。
そんなことは知らず偶然旅の途中に此処に行きついたガルデンは、夕食と今晩の宿にありつけず街を彷徨っている。
吐く息は白く、ちらちらと雪が降り始めていた。
その寒さを感じないかのように、街中が楽しげに笑っていた。
大人たちは酒を片手に、子供はプレゼントを抱えて連れ合いや家族と顔を合わせて笑う。
教会の前を通りかかると、讃美歌と呼ばれる歌が聴こえ、何気なくそこで足を止めた。
悪魔のひとやを 打ち砕きて
捕虜を放つと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
200年余りの人生の中で何度かは聴いた覚えがある。
歌詞は知らなかったが、繰り返される「主は来ませり」というフレーズだけが頭に残った。
主、とはこの辺りで信仰されている神のことを言うのだろう。
人々は主に祈り、懺悔し、教えを乞う。
主は人々の祈りを受け止め、罪を許し、進むべき道を指し示す。
無宗教のガルデンには従う神がいない。
それでも、主を敬う人々の歌声が不思議に胸に浸透してくる。
この世の闇路を 照らし給う
妙なる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
(主、か…)
かつて自分に道を指し示した少年がいた。
誰よりも罪を知り、許した少年もいた。
(、何を…。彼らが神か?)
自分の思考が飛躍しているように感じ、ガルデンは独り苦笑する。
例えあの少年らがガルデンにとっての神だとしても、もう会うこともないだろう二人、教えを乞うことも出来ない。
ガルデンは、ふうと白い息を一つ吐いて、独り歩き出そうとした。
しぼめる心の 花を咲かせ恵みの露おく
主は来ませり主は来ませり
主は、主は来ませり
「ガルデン?」
聞き覚えのある少年の声に振り向くと、赤いマントが視界にひらめいた。
「やっぱりガルデンだ!偶然だなー元気だったか?」
「アデュー…」
笑顔を輝かせながら駆け寄ってきたのは、剣を交え、共に戦った少年だった。
そしてガルデンの進む道を変えたのも、この少年だった。
思わぬ再会に呆気にとられているガルデンを気にせず、無邪気にまとわりつく。
「飯は?まだ?じゃあ一緒に食おうぜ!おーいみんなー」
ガルデンの返事を待たずに手をひき、パッフィーとイズミの元へ引きずる。
少女が鈴を転がすような歓声をあげ、僧侶もにこやかに受け入れた。
「素晴らしい偶然だわ!ね、サルトビ、サルトビ!」
その名前にガルデンはドキリとし、パッフィーの視線の先を見る。
開いた酒場のドアの奥から、喧噪に交じり少年の声が聞こえた。
「おい、4人入れる、って…」
酒場のドアから顔を出したサルトビは、ガルデンの姿を見つけて驚きに目を見開いた。
二人の確執を知るアデュー達がわずかに緊張するのが分かる。
しかしすぐに無表情を装ったサルトビは、店内に再び顔を向ける。
「親父悪ぃ、5人でも大丈夫か?」
平和の君なる 御子を迎え救いの主とぞ
ほめたたえよほめたたえよ
ほめ、ほめたたえよ
Fin.