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水と魚

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「死滅回遊魚を知ってるか?」

毛先の手入れがまったく出来ていない髪に指を通しながら言えば、無言の返答と共に腕を払われた。ピロートークとしてお気に召さなかったらしい。そんな様子にいちいち引き下がっていたらこいつの相手は出来ない。俺がこんな奴のご機嫌伺いなんて、考えただけで鳥肌が立つじゃないか。

「ねえ、シズちゃん」
「うっせえノミ蟲」

普段、池袋をうろついている怪物は雑な手つきでタバコに火をつけている。これ以上その話題を続けるなという奴の警告だ。俺はそんな警告を気にするつもりは無い。所詮、俺が喋ればそのすべてがこいつの地雷なのだ。

「ヤることやったらもう喋るなって酷くない?」

シズちゃん、シズちゃあん。わざとらしく呼べば案の定、タバコは灰皿の中に押し付けられた。先端が皿を貫通するんじゃないかと思うくらい強く。それを見ていたら前髪をわし掴まれた。自然に俺たちの距離は近くなる。

「黙れ。このまま髪、引っこ抜くぞ」
「俺が黙れって言われて黙ったことないだろ」

顔が近いのを良いことに、目の前にあった下睫毛の列を舐める。喉奥で俺が笑ったのと、静雄が舌打ちしたのはほぼ同時だった。

「……臨也」
「怒らない怒らない」

怪物をなだめるのは大変な作業だ。それでも街中で対峙するときよりはずっと大人しい。その事実に俺は腹の中の笑いが止まらない。あの怪物が。静雄が、たかが何回かの接触でこうなるなんて!

「死滅回遊魚ってね、早く言えば死ぬ運命にある魚。南の海から海流に乗って北の海にやって来るんだ。夏はともかく、冬の水温にやられて死んでしまう。故郷に帰ることなく」
「それだけか」
「うん」
「死ね」

振られた拳を首を捻って回避する。こいつの隣にいると常に暴力が付きまとう。それが面倒でもあるし、手のひらで踊らせたくもなる。人形とはよく言ったものだ。

「シズちゃんみたいでしょ、その魚」
「俺は魚じゃねえ」
「……ヤってるときは魚みたいに跳ねるじゃん」

今度は灰皿が飛んできた。避ければ後ろの壁が嫌な音を立てる。

「俺はさ、シズちゃんが死んでくれれば良いんだけどさ。……っ、携帯なんて投げるなよ。だけど周りの、魚に例えたら北の海水だけど――その水の中で死なれるのが、少し不愉快なんだよ」

そうだ。こいつをここまでの怪物に仕立て上げたのは静雄自身の組織と、俺だ。かなりの労力をこいつのために費やした高校時代。適当な人間を怪物にけしかけ、本人が嫌っている力を際限なく使わせた。それに伴って人を寄せ付けない、ろくに人間関係を築けない環境の整備。馬鹿らしくも、ぬるま湯をバスタブに張るような気分だった。どれだけ湯を張るのもどれくらいの温度にするのかも俺しだい。静雄はその中で泳ぐ。魚の泳ぐコースは読めなくても、環境を整えることは出来た。それが、今ではどうだ。

「周囲の人間に囲まれてシズちゃんは高校のときよりずっと“いい”人になったけど。お前の怪物の組織が死んでいってる。人間の部分が成長すると共に死ぬなんて皮肉だね。アポトーシスみたいだ」

海水の中で死んでいく魚。俺の創った環境を突き破って死んでいく、俺がここまで引きずり出した静雄の中の構成組織たち。それをイメージすると無性にいらついた。人間同士が繋がって出来る喜劇を見逃したとき以上の苛立ちだ。

「……後にも先にも、シズちゃん以上に俺をいらつかせる奴は出てこないと思う」

眉間に皺を寄せたままギリギリと歯軋りしている奴のさらされた腹を指先で愛撫する。あまり伸びていなかった爪を立て続けたが、引っかき傷一つ満足に付かなかった。感覚の鈍い表皮を一笑する。

「その死滅回遊魚ってさあ、運良く人間に捕まえられて適温の水に移してもらうと延命できるんだって」
「ごちゃごちゃとうるせえよ。つまりお前は何が言いたい」

そろそろ理性の限界点が近いらしい奴は、結論を急ぐ。そんなせっかちなところは高校からちっとも変わらない。青筋を浮かべる静雄に笑いかけながら愛撫を続けた。

「……俺が、温かい水の中に戻してあげる」

シズちゃん。名前を呼びきった瞬間に、顔に衝撃が走る。喉奥が鳴った。

「――糞ノミ蟲が。間抜け面さらしてんじゃねえよ」
「俺、そんな酷い顔してんの?……痛い痛い、鼻が鎖骨に当たってる。ゴリゴリ言ってる!」
「うるせえっ」
「ブホッ」

俺の頭が指の長いシズちゃんの手に掴まれ肩に押し付けられた。髪に絡んだ手は温かい。こういうところが嫌なのだ。そう思いながらも軽く息を吐いて瞼を閉じた。身体は随分単純明快なものだと自嘲する。

「これ以上くだらない事喋り出したら捻り潰す」
「ははっ、これだからシズちゃんは嫌いなんだ」

余計なところで鋭いんだから。溜息交じりに言いながら空いた両手を静雄の背中に回す。俺の頭の少し上で、奴の鼻で笑うような小さな声が聞えた。ああ、結局俺たちの築いた錆び臭い関係はこんなものだ。俺は海水なんて大層なものにはなれないし、こいつは魚なんてひ弱な生物でもない。せいぜいバスタブのぬるま湯と成長する怪物といったところか。死滅回遊魚が遊泳するイメージを完全に頭から排除して、俺は笑った。



ああ、なんて青臭いのだろう!






作品名:水と魚 作家名:いさた