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願わくば

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あなたの声が 聞こえた。
それだけで 僕は ……。

あなたに 会いたくて
でも
怖くて。


もし、あなたのとなりに 誰かがいたら?
もし、あなたが 僕のことを 忘れていたら?
もし、あなたが、僕を見て ……眉をひそめたら……?


 ヤッパリ オマエ 人間ジャナインダナ


人は 死んだら 生き返らない
どんなに望んでも もう 動けない

でも 僕は……?

あの時、僕は 死んだはずで。
でも今、僕は ここにいて。
剥がれ落ちた 皮膚も 今は傷一つなく。
まるで何もなかったかのように
あなたの声を 聞くことが できて。

それがたまらなく 嬉しいのに
それがたまらなく 悲しくて。

人間に なりたかったのに。
人間じゃないから また 会える なんて。

でも
それでも
あなたに 会いたい。会いたい。会いたい。
会いたいんです。……蒼葉さん……。


◆◇◆


気づけば、歌を口ずさんでいた。
あの日、彼に 奉げた歌。
好きだよ、と
言ってもらえた、あの 歌を。

あふれる想い そのままに
音は 空気に溶けて 遠くへ 近くへ
肌で 心で 感じるメロディ
どうか 気づいて
どうか 届いて


 ―― 僕は ここに います


『クリア…!』

風に乗って届いた声に
とくん と 胸がはねる。

たった一言なのに
なんて 心に響き渡る音なんだろう
この世で 一番 大切な人が
自分の名前を 呼んでくれる奇跡。

自然と 口元が ほころんだ。
胸に 暖かな何かがあふれて 息をはく。

ゆっくりと振り返る。

「あなたの声が聞こえたので、来ました―――」

…あなたが 今 そこにいる奇跡に 感謝を…。


◆◇◆


ベランダから乗り出した蒼葉は、クリアを見つけるとあわてて部屋へと戻っていった。
しばらくして、玄関の扉が勢いよく開き、蒼葉が飛び出してきた。

靴を履ききれていないのか、つんのめりながらも
クリアのいた屋根の下まで、ひたすら走ってくる。
視線の先は、屋根の上。
まるで、消えてしまうことを恐れるみたいに。
その視線は、ぶれることなく、クリアを捉え続けていた。

蒼葉が立ち止まると、クリアが屋根から降ってきた。
それは まるで。
最初に会った 時のように。
でも、あのときと 違うのは、
ガスマスクをしていないことと。

「蒼葉さん…」
 
その、呼び方。

「なんで、」
蒼葉の口から、ため息のように言葉がこぼれた。
声が詰まる。目頭が熱くなって、喉の奥がちりちりする。

なんで、離れたところにいるんだよ。
なんで、すぐ会いに来ないんだよ。

想いはあふれるのに、言葉が出てこない。

その声が 聞きたかった。
その声で 名前を呼ばれたかった。
ただ、会いたかった…。

「蒼葉さん」

名前を呼ぶ声に顔を上げると、クリアはうつむいていて、両手をぎゅっと握り締めていた。
背が高いくせに、少し猫背で ちっちゃくなっている。
あの頃と変わらない、その姿に 胸がきゅぅっ、と締め付けられた。

「ん?」

問いかけると、ますますうつむきながら、せわしなく手を握り締める。
「僕は…。」
クリアはそこで、息を深く吸って。続けた。

「僕は、あなたの目にどのように映っていますか?」
「え?」

質問の意味を図りかね、首をかしげた蒼葉に、クリアは続ける。

「あの頃の僕と、同じに見えますか?」
「ああ」
「変わっていないと、思いますか?」
「ああ」
「それが、不自然だと…思いませんか?」
「…え?」

「本来なら…本来なら、僕はここにいないはずでしょう?もし、僕が…人間だったら、死んでいたはずです。変わらない姿で、ここにいられるということは、自然の摂理に反したことでしょう?」
そう話すクリアの声は、かすかに震えていた。
「僕が、人間ではないことを、人間にはなれないことを…突きつけられた気がするんです。」

その瞬間、蒼葉は、以前クリアが言っていたことを思い出した。

『僕は、人間になれますか?』
『僕は、普通の人みたいに、あなたに触れられましたか?』

(そっか)
なんとなく、分かった気がした。
クリアが何に、おびえているのか。

「…前にも言ったろ。お前は、誰よりも、人間らしいよ、って」
「…」
「今も、変わらないよ。お前は、クリアは、誰よりも、人間らしいよ」
「…っ蒼葉さん…」
「だから…」

うつむいたままのクリアに、近づき…
ぎゅっ、と抱きしめた。

「おかえり」

肩口にクリアが顔を埋めるのが分かった。
両手を背中に回して、やさしくなでる。

「もっと…もっと言ってください」
「くすっ…前も、こんなことがあったな?」
笑いながら、髪を梳くようになでてやると、クリアがしがみつくように、背中に手を回してきた。

「おかえり」
くしゃっと髪をかき回す。
肩口に、暖かな、ぬれた感触が広がった。

「いいんですか? 僕はここにいても…いいんですか?」
くぐもった声が、問いかける。
「いいに決まってる」
「…っ」

まわされた腕に力がこめられる。
お互いの温もりを感じながら、鼓動を刻み込みながら、確かに今、ここにいることを確認する。

しばらくして、ゆるりとクリアは体を離した。
潤んだ瞳に、蒼葉を映す。
まっすぐな瞳は、もう揺れてはいなかった。

「…ただいま、です。」

聞きたかった言葉。
帰る場所はここだと。
言って欲しかった言葉。

「言うのが遅ぇよ」
ずっと、待っていた。
自分だって、不安だったのだ。
例えクリアが再び意識を取り戻したとしても、以前と同じクリアである保障はない。
それでは意味がなかった。
その言葉は、『クリア』でなければダメなのだから。

「…! 蒼葉さん?」
ぎょっとした声に問われて、涙が頬を伝っていることに、気づく。
『ただいま』の一言で、張り詰めていたものが、ゆるんだのだろう。
拭っても拭っても、溢れて止まらない。

今日まで 泣けなかった。
泣いたら 終わりを認めてしまうようで。
「遅ぇよ。ばか」
そう言うのがやっとだった。

「すみません」
困ったように笑いながら、クリアがもう一度手を伸ばしてくる。
そっと、おでこをくっつけるように。
やさしく抱きしめながら、もう一度。

「ただいま。蒼葉さん」
そう囁いたクリアは、満面の笑みを浮かべる。
「おかえり。クリア」



 ……願わくば、これから先、何度でも繰り返せますように。


「おかえり」

そして

「ただいま」
作品名:願わくば 作家名:かやの