悲しくなんてないさ
背筋がぞわぞわして指先が震える。(なぁ、お前は、俺の大事なロヴィーノをどこにやってしまったん?)
「兄ちゃんの太陽は沈んでしまったね。はじめから昇ってなんていなかったかもしれないけれど」
「なぁフェリちゃん、ロヴィ知らへん?」
「ここにいるよ、俺のここに」
そう言ってフェリシアーノは自身の胸の辺りをトンと叩いた。次の瞬間、アントーニョは何か叫びながらフェリシアーノに背を向けて駆け出した。
事の始まりは3日前。ロヴィーノはいつものようにアントーニョのトマト畑の収穫を嫌々ながらも手伝っていた。「終わったらおいしいトマトパスタ作ったるからな」と文句たらたらのロヴィーノの頭をアントーニョは優しく撫でる。するとロヴィーノの日に焼けた肌はみるみるうちに赤くなった。
「ガキ扱いするんじゃねーぞこのやろー!」
「ロヴィはほんまにかわええなぁ!顔真っ赤っ赤にして、まるで太陽や!」
「ふんっガキのころからずっとそればっかだな」
「ロヴィは親分の太陽やで」
「こっこのやろー!からかうのも大概にしやがれ!」
ロヴィーノから逃げるようにトマト畑を駆けていく。ロヴィーノが幼いころからなにも変わらない広い広いトマト畑。アントーニョの底抜けに明るい笑い声がスペインの青い空に響いていた。
疲れて子供のように寝息をたてて眠るロヴィーノの髪の毛を撫でながらアントーニョは一枚の新聞の切り抜きに目を通す。ロヴィーノは実はもうずいぶんと前からアントーニョの支配下になかった。今の関係は対等である。だから、こういうことがあっても何らおかしくなかったのだがロヴィーノの変わらぬ態度にアントーニョは安心しきっていた。
その切り抜きにはイタリア併合、とイタリア語で記されていた。経済状況からみてもロヴィーノが吸収されてしまうだろう。アントーニョの指先は震える。こんなことがあってたまるかと、すぐそばで眠る元子分の顔を見つめて呟く。
「ロヴィはどこに行ってしまうん?」
ロヴィーノの弟がやってきたのはそれから3日後の今日である。柔らかい笑顔を顔に貼付けてアントーニョの家までやってきた。
アントーニョの不安げな顔を満足気に眺め回してにっこりと歯を見せずに笑う。そして、冒頭に戻るのだった。アントーニョは駆け出す。広い広いトマト畑の中を進んでいく。夕焼けが眩しい。
「…ああっ!」
ロヴィ、ロヴィーノ!俺の大切な太陽!ずっとそばにいると信じていたのに!
アントーニョは膝を落とし、土に手をついた。柔らかな土はアントーニョの手を汚す。むせかえるような土の匂い。腿を抱えるように身を縮こませると首にかかったロザリオがシャラリと鳴った。
「ロヴィ!」
神様!なぜですか!彼らを同じにする必要なんてなかった筈なのに!
「兄ちゃん、悲しい?」
「…一人にしてくれへんか」
「俺も悲しいの、兄ちゃん」
体を起こし、フェリシアーノを見上げるが太陽のせいで顔まで見ることが出来ない。ただ、その声はさみしげで、フェリシアーノの悲しむ表情が浮かぶ。
「…ロヴィーノはもう」
「いないよ」
フェリシアーノはきっぱりと言い放つ。その言葉には優しさはない。
「兄ちゃんと一緒になっても俺はなにも変わらなかったよ、ねえ、兄ちゃんは俺が欲しかったんでしょう。取り替えてほしいってずっとローデリヒさんに言ってたよね」
「ちゃう、ちゃうねん、ちがう。俺は、ロヴィでよかった…ロヴィがよかった…」
「そんな悲しいこと言わないで、兄ちゃん」
フェリシアーノは自分に背中を向けて涙を流すアントーニョの背中に額を擦り寄せる。
「太陽の香りがするね。あなたは兄ちゃんがいなくたって大丈夫」
「ロヴィ…」
「大丈夫だよ、俺がいるよ」
アントーニョはフェリシアーノを見ようとしなかった。恨むつもりはなかったがもう今までのように出来る自信もなかった。アントーニョは立ち上がり、よろよろと進む。フェリシアーノはそれを憐れむように黙って見ている。
「ロヴィ」
すっかり陽も沈み、あたりは暗い。トマト畑が背の低い黒い森のようにフェリシアーノにのしかかる。悲しいのはあなただけではないのに、と囁く。俺でないことは確かだけれど。
「兄ちゃん、アントーニョ兄ちゃんは壊れてしまうかもしれないね。なんで意地悪したの?」
返事などないことはわかりきっていたがフェリシアーノは自身の胸に問い掛けた。ロヴィーノはアントーニョになにも言わなかった。アントーニョに知られぬうちに消えてしまおうとしたのだった。結局アントーニョはフェリシアーノがこっそり宛てた手紙と新聞の切り抜きで知ってしまったというのに、ロヴィーノはなにも言わずに、なにも知らずに、消えてなくなってしまったのだった。
フェリシアーノはおかしかった。こんなにも噛み合わない二人を見たのははじめてだったからだ。お互い、事実を知っていたのに相手を想いすぎて、恐ろしくて、確かめようとしなかった。
「おっかしい。ベッタリ依存してる方がおかしいや。アントーニョ兄ちゃんのトマト好きだったのに。太陽がなくなっちゃったからねぇ」
アハハ、明るい笑い声がスペインの夜に染み渡るように落ちていく。フェリシアーノは膝についた土をはらって伸びをする。それから小さくため息をついて歩き出す。たわわに実るトマトに手を延ばしかけてやめる。もう幸せの音はしなかった。
「兄ちゃんはここにいるのにな」