Ring
新聞のチェックは毎朝欠かせないが、普段は自分の執務室に出勤してから目を通す。朝食のときにじっくりと読めるのはありがたい。
「ねえ御剣」
ほとんど腐れ縁であるかのような成歩堂が、自分の分のトーストにジャムを塗りながら声をかけてくる。
もうお互いに結構いい年なのだから、バターとジャムを両方使うなと何度言っても直らないので、御剣はすでに諦めている。
「うむ?」
「僕ももう一度司法試験受かって、いくつか依頼も来ているし、オドロキくんも頑張ってるし、みぬきの給食費も延滞しなくなったし……」
ああ、そういえば最近は成歩堂の生さぬ仲の娘は自分のところに給食費をせがみに来ていなかった。それが少し寂しくもあったけれど、御剣はそれで? と先を無言で促す。
「僕たちそろそろ……結婚しない?」
ぶほ、と飲んでいた紅茶を噴出した。新聞が染まる。げほげほ、と咽ている御剣をよそに、「大丈夫御剣? 火傷してない?」と成歩堂は布巾で御剣の膝に零れた紅茶をふき取る。
「……キサマ私と何年付き合っているのだ!? わ、私は女ではないぞ! よく知っているではないか!」
再会して恋をして付き合って、何度も夜には(時には昼にも)体を重ね、どうしてその発想になるのか御剣にはわからない。
「知ってる」
「じゃあ、日本の法律がわからないのか!?」
「法律も知ってるよ。やだな、僕弁護士だよ?」
「ム……なら、なぜいきなりそんなことを言う?」
成歩堂はトーストを一口齧って、それから皿に置いた。
御剣も何となく居住まいを直して成歩堂を見つめた。
「キミがいなくなるのが怖いんだ」
そして御剣は、未だに彼が、「あの時」のことに深く傷ついているのを知る。
『検事・御剣怜侍は死を選ぶ』
一言だけ書置きを残して姿を消した自分を、成歩堂は憎んだ。戻ってきてからもしばらくは、ぎくしゃくしていた。
ステディな関係になってからも御剣は海外出張が多かった。自分から望むと望まざると、仕事は降ってきた。
検事局の重職に落ち着いたいまでも、月に一回は海外研修に世界のあちこちへ飛んでいる。
成歩堂にトラウマを植えつけてしまった御剣は、それ以降、必ず海外に行く際は行き先を告げていた。
そうしないと御剣の携帯電話には、成歩堂からの着信とメールが怖いほどに溜まってしまうからだった。
「結婚したら、キミを縛れるのかもしれない」
結婚は愛しい相手と自分を互いに結び合う、契約だ。御剣が目の前にいなくても、傍にいるような錯覚ができればいい。
御剣は溜息をついた。
重症だ。
「……法律上我々は結婚できないし、私は性転換手術をしたり、戸籍を変えることもしない。だが……」
御剣は成歩堂の頬を優しく掌で包み、昔よりも穏やかになった笑みを向けた。
「キミは私といつもつながっている証が欲しいのだろう? 別に結婚という形にこだわることはあるまい」
「そうだけど」
指環、と御剣は言った。
「え?」
「指環を、買いに行こう。揃いの。……その、結婚指環、のような……シンプルなデザインのものであれば、職場でつけていても支障なかろう?」
それにこの年にもなると、見合いを断るのも億劫になってきてな……。
その御剣の台詞を成歩堂は照れ隠しだとわかっているのだろう。
「うん。今度キミの休みの日に、行こう」
優しく自分たちを縛る、そのリングを。