スノークイーンの伝言
ここ最近、深夜、寝床につけずに本に読み耽る事は最早エリックにとっては日課となっていた。
薄暗い部屋の中、ぼんやりと明かりをつけながらの読書は目に多少の疲れが生じてくるものの周囲の音が耳に入ってこない分、集中できて昼間よりも一気に読み進めることができた。
いつもの様にキリの良いところで本を閉じる。欠伸をひとつした後、そろそろ寝るかと上賭けを掛けようとした、まさにその時だった。
トントン、とガラスを叩く音が聞こえた。窓の方からしたらしく、移動して見てみる。と、そこには、寝間着姿で窓ガラスに張り付いているチャールズの姿が。ガラスを叩くチャールズに一体こんな真夜中に何を考えているんだと半ば呆れながらもエリックは短い溜め息を吐き、窓を開けた。チャールズは窓枠の辺りを掴み支えにしながら、エリックの自室に飛び込む様に入ってきた。
「おい、一体何時だと思ってるんだ。夜中にいきなり入り込んできて」
「夜這いしに来たんだ」
「……」
あまりのくだらない理由に呆れて二の句が継げないかと自分でも心配したがすぐに言葉を見つけて言い返す。
「するにしても普通にドアから入って来ればいいだろ」
「それじゃあつまらないじゃないか」
「お前なぁ…」
ここまで来れば流石に言葉も出てこれず、額に手をあて、再び溜め息を吐くしかなくなる。
「ああ、そうそう。君に渡したいものがあるんだ」
そう 言いながら先程から背負っていた、やたらとでかいリュックを下ろし、中を何やら探り始めた。そこからでてきたのは――白い薔薇の花束。
「これを君に渡したくて」
白く、ふわっとした大輪の薔薇。清潔感があり混じりけのない純白さを持っている…待てよ、よく見てみればどこかで目にした記憶が。思い出そうと記憶の中の引き出しをいくつか開けてみる。その最中にチャールズが怪訝そうな顔で此方を見つめる。
「…エリック?」
「この花、前にどこかで見たことがあるような気がするんだが…」
エリックがそう呟くとその答えを待っていたと言わんばかりにチャールズはニヤリと笑った。
「この間君と僕で薔薇園に行っただろ? その時に君に怪我を負わせた薔薇、スノークイーンだよ」
言われて思い出す。
あぁ、確かそうだ。
先週、チャールズに誘われて朝のティータイムにと待ち合わせ場所の薔薇庭園に向かっていた途中、綺麗な花々に目を奪われていた。その中で一際美しかった薔薇を見つけてつい興味本意で触ろうとして、迂闊にも棘の部分に触れてしまい、かすり傷を負ってしまった。
ただでさえ花になど興味を持たないエリックの心を掴んだ、その時の白薔薇だ。
「罪深い花だよね。君を傷付けたんだから」
チャールズが白で統一された花束を抱えながら、包みに覆われた白薔薇に目を向ける。
「でも、そんな罪深い花にも一応ちゃんとした意味があるらしいんだ」
「意味?」
「そう、白い薔薇に込められた花言葉。洒落た言い方をすればスノークイーンの伝言、かな」
そう言った直後、チャールズは両手で持っていた花束を片手に持ち変え、いきなり、エリックに飛び掛かり、ベッドへと押し倒した。
いきなりの彼の行動にエリックは夜中だということも忘れて目を丸くしたまま目の前の教授に声を上げた。
「おいっ、ちょっ、いきなりなにするんだ――」
「『私は貴方に相応しい』」
「えっ?」
一瞬、訳がわからず聞き返す。するとチャールズは顔を上げて時折見せる、自信に満ちた表情で再び答えた。
「『私は貴方に相応しい』。白い薔薇の花言葉だよ」
ようやく理解した。あの白薔薇――スノークイーンに込められた意味を。
『私は貴方に相応しい』――自信過剰にも聞こえるその言葉はまるで今、目の前にいるこの男にピッタリじゃないか。
「いかにもお前らしい花言葉だな」
すぐにエリックの言葉の裏を察した教授も同じ様に皮肉の込められた微笑をする。
「そうかい? それは褒めてるととらえていいのかな?」
「勿論」
互いに顔を見合って小さく笑う。と、突然チャールズが何かを思い出した様な表情をした。
「そうだ、もうひとつ忘れてた。薔薇は花そのものだけじゃなくて、確か本数にも意味があるんだったっけ」
「本数って…いくつあるんだ?」
片手にある白薔薇の束に目を遣る。チャールズも手にしている花束をチラッと見遣ってから少し考えて、答えた。
「ざっと30本ぐらいかな」
「結構な数だな」
「だろう? 本当はもっと詰めたかったんだけど流石に部屋中薔薇の匂いだと君も嫌になるだろうと思って」
「ははは…それもそうだな」
軽く、吸い付くような口付けを何度も交わす。短い、けれどもひどく甘ったるくて、不思議な気持ちにさせるキス。
僕の愛を受け止めてくれ、エリック・レンシャー――
また、そう口にした彼の声色もひどく甘ったるかった。
(30本の薔薇=私の愛を受けてください)
END
作品名:スノークイーンの伝言 作家名:なずな