ぼくのえへかとる
――うみみゃ。でもね、クミロミ。わたしは今も昔もわたしだよ、だよ。
いつしか彼女の朗らかさは、いつもとは違うものとなっていた。
乳房のあたりから見上げたエヘカトルの表情は、確かにあどけなさが残っているものの――垢抜けた雰囲気を有していた。
陽光に輝く伏せられた睫毛は、優しい金色を纏い、粛々とした、畏敬すら覚える程美しかった。
――僕のエヘカトル…。
おもむろに、エヘカトルはクミロミの額を撫でた。クミロミの艶やかな金髪は、さらさらと音を立て、エヘカトルの愛撫の手から溢れる。
――…今も、ずっとここにいる。
――みゃみゃぁ、クミロミ。
額を撫でていた手をしばし止め、エヘカトルは囁く。
――昔の『私』を思ってくれるのはとっても嬉しいよ。よ。
その声色は、まるで痛みに耐えるかのような苦悶と、現在の、普段の『彼女』から想像する事は出来ない沈鬱さが滲んでいた。
――でも。でも。今の『わたし』も、見てほしいな。ほしいな。
『かのじょ』は、眼下にあるクミロミへ顔を傾けると、黄金色の柳眉の両端を落とした。
『かのじょ』になってから、初めてかもしれないその表情は――『彼女』であった時よりも、クミロミの胸に重く伸し掛かり……同時に魅了されていた。
――…僕は。
心にあった蟠りを押し流されていくのが、自分でも解る。だが、そんなことよりも。知らない間に、『かのじょ』を傷つけていた事に対する自噴と自責が、彼の気持ちを余すこと無く喰らっていた。 それでも、騒がず、喚かずにいられるのは、それ以上に『かのじょ』を見ていたいからだろうか
あの気高く、美しく、そして優しい『彼女』と――
笑顔の絶えない朗らかな少女みたいな『かのじょ』――
この言葉は、いったいどちらのものだろうか。或いは……両方のものだろうか。そのぷっくりした形の良い唇からは、どちらのものかを語らない。いや、そもそも聞いてはならない。
それはクミロミが、自分自身で考える事だ。だから――
「クミロミ……?」
気付けば、彼女の頬にクミロミは手を伸ばしていた。
――…暖かい。そして、変わらない……。
キメ細やかで滑らかな肌は、かつてのままであった。ひどい遠回りだ。心のなかでひとりごちた。
この痛む胸を蝕んでいた苦悩など、迂遠な道程でしかなかったのだ。
――……エヘカトル。
――うみゅぅ……なに、かな。なにかな。クミロミ。
いま。僕は。すこしでも、いまの君の笑顔が欲しい。君の心を癒せる笑顔が、欲しい。
目の端が滲み始めた。自戒が堰を切ったように溢れ、耐え切れなかったようだ。視界にある端麗な顔が、悲しそうに歪んだ。
違う。そうじゃない。そうじゃ、ないんだ。
口の端に力を込めた。ぎこちない。『かのじょ』は、いや、『彼女』も、もっと自然に笑えていたのに。今度、教えてもらおうかな。
『かのじょ』の口から言葉が溢れそうになるのを片手で静止して、クミロミは――クミロミは、笑った。
……おかえり、じゃ可笑しいよね。だから…
「ただいま、僕のエヘカトル――」