【APH西英】恋はまもの
17世紀、カトリックの強国スペインではこのような流言が囁かれていた。ある者は揶揄から、ある者は恐れから、彼の二つ名を口にした。
緑の目の怪物。それがスペインとイギリスにかけられた呪いだった。
そんな血なまぐさい時代から長い時が流れ、ここは現代21世紀のスペイン。正確には国を具現化したスペインの家の寝室である。硝煙や潮の匂いはもうしない。かわりに薔薇や紅茶の香りや太陽の匂い、それからシャンプーや洗剤の混じりあったあたたかい生活の匂いが溢れていた。それらは、遠い昔から今の二人の関係が変化したことを物語っていた。
キングサイズの寝台の上に、くすんだ金色と焦げ茶色の頭が仲良く寄り添って眠っていた。スペインの象徴とも言える少し強い太陽の光が、二人に朝の訪れを告げている。
カーテンの隙間から入り込んだ朝日が、イギリスの柔らかい金色の髪や白いシーツに反射して、そこかしこがきらきらと光っているようだった。スペインが肌身離さず身につけている黒いロザリオもまた、朝日を受けて眩しそうにしている。
そのロザリオの持ち主は朝の太陽に負けたのか、重たいまぶたをゆっくりと開いた。
スペインは、朝遅くまで寝ることも二度寝ももちろんシエスタも好きだったし、悪いこととも思っていなかった。しかしそれと同じくらい、いやそれ以上に朝の光のなかで恋人のかわいらしい寝顔を眺めるのが好きだった。普段の拗ねた顔や怒った顔(その大方が多分照れ隠しだ)ももちろんかわいいのだが、眠っているときの安心しきった無防備な顔は一層愛おしさを感じさせた。
かわええなあ……。
スペインはにへらと顔を緩めながら、イギリスの頬にかかった細い髪をそっとはらい、すべらかな白い肌を撫ぜる。それだけでは満足出来ず、ふに、と頬をつついてみる。反応がないことに調子に乗って、ふにふにと何回も柔らかい頬の感触を確かめると、イギリスは嫌そうに眉間にしわを寄せた。
あかん、起きてもうたか、とスペインは焦ったが、イギリスは寝返りを打つとまた規則正しく寝息を立て始めた。
スペインの視線は、今度はイギリスのその白い薄っぺらい背中に視線を向けられた。今や、何もなかったかのような様相を呈しているが、この肉付きの薄い背中には、確かに数えきれないほどの傷が埋もれているのだ。
時々、その埋まった傷跡を暴きたいのか、抱きしめたいのか分からなくなる。いいや、多分両方だ。暴いて抱きしめてやりたい。
抱きしめて、暴いて、舐めて、そしてまた抱きしめたい。
そんな欲望に駆られたが、そんなことをすれば、今度こそイギリスが起きてしまうことに加え、抱きしめたり舐めたりするだけでは済まなくなってしまう。スペインとしては、そのような事態になってしまっても構わないのだが、その後でイギリスに怒られるのは勘弁したいし、また、二人で穏やかに過ごす休日をひそかに楽しみにもしていたので、その欲望を今は諦めた。
昼間から事に及ぶ背徳的な行為も捨てがたいが、今は昨夜の疲れから寝入っている恋人の身体をいたわりたい。その身体には、まだかすかに夜の名残が残っている。スペインは、イギリスの細くて薄っぺらい身体からどうしてこんなに色気のようなものが出るのだろうと不思議に思った。イギリスを前にするといつでも我慢が利かなくなりそうな自分がいる。思いが通じて恋人という関係になってから、今まで見たことのないイギリスを随分と知った気がする。貧相な身体がベッドの上では艶めかしく動くこと、冷え性な指先、緑色の目が時に照れ屋な本人よりも雄弁なこと。
そのペリドットが隠されたまぶたがぴくぴくと不規則に動いていることから、イギリスは夢を見ているようだった。
イギリスの夢に思いを馳せながら、スペインは段々と自分が今日起きる前に見ていた夢を思い出していた。
教会の高窓からぼんやりとした光が射し込んでいる。敬虔な礼拝と軽薄な流言が同居しているかつてのスペイン王国。スペインは、当時の上司の姿を見留めて僅かな懐かしさを覚えた。自分よりもよほど難しいことを考えていたに違いないのに、こいつも自分より先に逝ってしまった、と遠い日々を少しだけ思い起こす。人間はいつも生き急ぎすぎる。古めかしい格好をした王が祈りを捧げている。しかしそれはいつの間にか呪いの言葉に変わっていた。――イングランドには緑の目の魔物が棲んでいる。神を捨て魔物に魅入られた女が支配する国。スペイン、お前はイングランドがおそろしい魔物だということを決して忘れてはいけない。――そう繰り返し、繰り返し……。
魔物か、今考えるとおかしい。あの時の国王が、今の自分とイギリスを見たらどうするだろうか。今や魔物と酒を飲み、キスを交わし、それ以上のこともしたりして、一緒のベッドで眠り、こうして朝を迎えているのだ。
「魔物さまが恋人か……なかなか悪くあらへんな」
スペインは満足げな笑みを浮かべ、かつて魔物と呼ばれた恋人をまた見つめた。イギリスは相変わらず気持ちよさそうに寝入っている。
「なんや、親分もまた眠たくなってきたわぁ」
イギリスの額にそっとひとつ口づけを落として、自分より少し小さい骨ばった身体を抱きよせる。かすかな紅茶と薔薇の香りに充足すると、スペインは睡魔の誘惑に素直に従い、再びここちよいまどろみの中へと入っていった。
金の髪と緑の目の恋人は、確かにスペインを捕らえて放さない魔物なのかもしれない。それはもしかしたら呪いなのかもしれない。恋はおそろしい魔物で呪いだ。だが呪いだろうと祈りだろうと、もはやスペインには関係なかった。
夢から覚めたら、その緑の目を見せてほしい。見つめてほしい。魔物の瞳で自分をずっと捕らえていてほしい。
作品名:【APH西英】恋はまもの 作家名:たかむら