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愛がもたらす甘美について

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 首が無い、とは、唇にキスが出来ない、ただその程度だと彼は言う。鎖骨の窪みや、なだらかな腹部の緩急、細くしなやかに反応するふくらはぎ、上から下に、彼は唇と指を這わせた。まるで彼女に一つ一つと教え込むように、何を?
 事務所兼住居であるマンションの一室、家賃も階数も高い部屋。照明は要らない。地上よりも近い月が朗々と部屋を照らす。闇医者の手から微かに香る麻酔薬。混じって、血液。鼻腔を詰まらせるそれらの中に、彼女は繊細に彼自身の匂いを嗅ぎ分ける。
 行為を何度も繰り返した、といえば語弊がある。何かと忙しい二人、空き時間が重なってもすぐに片方が家を出てしまって十分な時間が取れず、また、時間が揃ったところで空気や諸々の条件が揃わねば彼女は羞恥からすぐに彼を突き飛ばす。今夜のように、時間に余裕があり、尚且つ彼女が行為を許す程心穏やかな時、あるいは行為に頼らねばならない程衰弱している時は滅多に無いのだ。果たして今日は後者であった。
 瞳も無ければ涙腺も無い、しかし彼はその流れない涙を敏く感じる。拭えぬ涙を言葉で取り去る、もう二十年来の付き合いである、その術を彼は熟知していた。優しい耳障りの良い台詞では納得しない、己に厳しくある彼女。いつだって、その悩みは自らに向けられたもので、例えばあの子が気に入らないのなんて状況はおよそ想像も付かない。
 全てを淫猥に歪める赤い月。抵抗して絡めた影に、彼が口付け、そして途切れた首を丁寧に撫ぜた。普段黒で覆われている身体が、彼女の意思でゆるり解け、覗く白い肌が彼の情欲を煽る。強く、抱き締め、キスをしたところで痕もすぐ消えてしまう、刹那的で、継続の要素が欠けたセックスもどきのやり取り。いわゆる女性器を、彼女は持っていなかった。
 所詮化け物と人間など、結ばれるべきではないのだろうか? 彼の手が本来あるべき場所に伸びて、焦った様に違う場所に移る、密着した状態では行動も心理も筒抜けである。人間の女ならばそのまま彼は奥まで探って、潤滑に事を済ませるだろう。なのに、この身体ときたら!
「また、馬鹿なこと考えてるでしょ」
 相手の意図を掴める、それは彼女特有ではない、むしろ彼の得意である。考えを悟られて、いっそう彼女の身体は強張る。抱き締めていた腕を緩め、彼はその胸に顔を落とした。ライダースーツでは分からない大き目の乳房。外国風の白い肌を、彼だけが拝めるのだという優越感。
「十分だよ、セルティ」
 彼の舌が胸を舐め、それに逐一反応し、身体を伝う指、それ全てが自分と彼の為だけになされる行為なのだと、彼女はまだ信じられない。だから彼は教えるのだ、二人きりの行為の全て、愛がもたらす甘美について。セックスもどきと呼んでしまえば俗悪粗雑、しかりて肌を触れ合わせる、それだけで幸福に満たされるならば性行為よりずっと崇高、人間同士でないのだから、人間同士を真似る必要などいずこにあろう? でも、と躊躇いがちに彼女の手が、彼の興奮した性器を指差す、いくら理論を語っても仕方の無い生理反応。好意を寄せる女性の裸体を前に、平静を装いうる技術を彼は知らない、だけれども何も不自然ではない。ただ、彼女と寄り添って、肌と肌の体温の違い、形ばかりの心臓の鼓動、化け物ならばそれで良し、彼は満ち足りているのだと、ひたすら一途に教え込む。
 蓋し、納得せずとも彼も彼女も幸福の渦中。月は朗々と光っている。