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嵐士の泉水ちゃんに対する愛は、兄弟愛の範疇を越えてるよね。
そう言ったのは香織だったか、京介だったか。割とどうでもいいことなのに、こんなに気になるのはそれが紛れもない真実だからに他ならない。羽柴泉水はそう思った。



「泉水って、なんでそんなに可愛いの」

カルト信者を見紛うようなうっとりとした様子で嵐士が泉水に声をかける。その瞳が憂いを帯びていることと、唇から吐き出される艶めかしい溜息には気付かなかった振りをする。

「うっせえな、死ね」

日常茶飯の出来事である。嵐士はことあるごとに泉水に可愛い可愛いと言う。ことあるごとにもっと可愛くされそうになる。実兄が弟の写真を持っているのはおかしなことではないだろう。そう、おかしなことではないはずだ。だから、実兄の携帯の待ち受け画面が、同い年の双子の弟であることだって、多分おかしなことではないの、だろう。家族だから、兄弟だから。そんな言葉に押し込んで、垣間見える嵐士の愛情が痛い、痛い。誰でもいいから助けてくれよ。





「泉水ちゃんはさあ、結局、贅沢なんだと思う」

実際、香織の言うことが全く分からないわけではなかった。イトコの藤原愛実は校内三代美少女に数えられる自他共に認める美しい女だ。(性格に大きな難があるけれど。) その愛実と似た顔を持つ自分は可愛いと言われることが多かった。美少女顔だよね、と知り合いでもない女からも男からも通りすがりにヒソヒソと言葉を交わされる。電車に乗ると必ず痴漢に遭う。小学生のときに二度ほど誘拐されかけた。

可愛いなんて言葉はいらない。それは俺にとっていやなことを思い出すだけの言葉だと思った。
俺がもっと男臭かったら、逞しかったら、こんな目には遭わなかったのに。ことあるごとにそう思い続けた。
身長が欲しい。体力が欲しい。泉水、と俺を呼ぶあの少し低めの声が欲しい。俺の欲しいものは全部、嵐士のものだった。妬ましくて仕方なかった。

心の奥に渦巻く感情は自分でも伺える程ドス黒くておぞましい。そんな自分を香織に見せたくなくてなにも言わなかった。いいや、なにも言えなかった。だって香織は嵐士の事が好きなのだから。







「泉水って、なんでそんなに可愛いの？」

日常茶飯。今日は朝からかよ。頭を掻きながらふあ、とあくびを一つ落として言った。

「本気で言ってんの？」

嵐士を見るといつも通りカルト信者の目をしていた。「何言ってんの」と返される。それは俺のセリフなのに。

ふと思いついて人差し指を自分の頭に向けて指す。

「お前アタマ大丈夫なのかよ」

嵐士は驚いたように目を見開き、「泉水は俺のこと全然信じてくれない」と可愛らしく膨れ面を作って見せた。端正な顔だなあと思う。恨めしい。

「俺は、泉水のためならなんでもできるよ。世界で一番、泉水が好きだから。覚えておいて」

愛の告白かと間違えるような宣言をして、嵐士は俺をじっと見つめた。


「…どういう意味だよ」
「泉水が好きだってこと」
「うっさい！キショイ！死ね！」
「またー、泉水口悪いよ！」
「うっせえな！死ね！」

誰のせいだと思っているんだ。嵐士はいつだってずるいと思う。俺より多くを持っているから、何も俺に奪われる心配は無いから、俺を好きだなんて言えるんだ。守るなんて言えるんだ。ずるい。心の奥が痛くて痛くて、どうにかなってしまいそう。早く、はやく誰でもいいから早くここから助け出してくれ。










「泉水」

夜中に俺の部屋をコンコンとノックして嵐士が入ってきた。近くにあった目覚まし時計を掴んで時刻を見ると短針は数字の３を指している。

「何の用だよ、こんな時間に」

そう言ってから溜息をつくと嵐士が怖い夢を見たので一緒に寝てもいいか、と俺に聞いた。

「やだよ」

即答した。高二の男兄弟は一緒の布団で寝たりはしない。

「この前泉水、俺に一緒に寝て欲しいって頼みに来たじゃんか」

両親が出張の際、嵐士が暇つぶしだと言って借りてきたホラー映画のことを思い出してしまった。

「それは」
「ね。お願い。今日だけ」

そう言って嵐士は俺の返事も待たず布団に潜り込んだ。嵐士は184センチの長身なので、俺は嵐士に抱え込まれてまるで小さな子供の持つぬいぐるみのように、されるがままに腕の中に収まってしまった。


「泉水」

後ろから俺を抱き締める腕が言う。

「泉水、可愛い」
「可愛くねえし」
「可愛いよ、泉水はこの世で一番可愛い」
「寒いこと言ってないで早く寝ろ」
「そういうところが可愛い」


話すだけ無駄だと見切りをつけて俺は寝ることにした。しかし寝苦しい。

「ねえ泉水」

静かにしていたと思った嵐士が口を開いた。

「キスしていい？」
「……またかよ」
「……いい？」

どうせ嫌がってもしつこく食い下がってくる嵐士を止める気力が俺にはない。コイツも結果が同じならば寝たフリをしている俺にキスでもなんでもかませばいいと思う。めんどい。

「舌、入れないなら」
「うん」







嵐士の泉水ちゃんに対する愛は、兄弟愛の範疇を越えてるよね。
そう言ったのは香織だったか、京介だったか。割とどうでもいいことなのに、こんなに気になるのはそれが紛れもない真実だからに他ならない。泉水が好きだ。家族だから？兄弟だから？それもあるけれど、もっと心の奥底を占めるこの美しい程に純粋で毒々しい気持ちは恋だと思う。泉水を泣かせたい、抱き締めたい、慰めたい、喜ばせたい、愛したい。俺だけのものにしたい。羽柴嵐士はそう思った。