伝えられない
手繰り寄せようとするのは何故か、それにいつも気づかぬふりをしてきた。けれどもうそれも今日で終いだ。なあ、幸雄。おまえに重ねた少年とおまえは似ても似つかなかった。それでもおまえといっしょにいたかったわけを今日こそ話させてくれ。そしてこのおやじの独り言をいつものように「ナニ言ってんすかァ?」と笑ってくれ。閉じたままの瞳はそのまま、二度と開くことはない。なあ、幸雄、笑ってくれよ。もう一度、あのころのままの純粋さで俺に笑いかけてくれ。
幸雄に会ったのはある夏の日だった。その日も雨が降っていた。俺はいつものように夜中にほっつきまわっているクソガキどもを探しては親の元へ帰して、というのを繰り返していて、急に降りだした雨にすこし軒を借りた、その盛り場にいたのが幸雄だった。正直俺はその顔を見ておどろいた。そいつは俺のしる天才にそっくりだったからだ。吊りあがったきつめの瞳に、おなじく吊りあがった眉。つん、と尖った鼻は一筋縄ではいかないよ、とこちらに無言で語りかけているようで、うすいくちびるが一際あかくあざやかに映えていた。おもわず「…アカギ」とつぶやいた俺にその少年は不審げな顔を向けて「誰だオッサン」と言った。その声音を聞いて、別人か、と思う。「おい、」と声をかけて外に引っ張り出そうとするとその場にいた男たちがちょっと待てよ、と止めに入った。どうやら賭け事の最中だったらしい。ますますあの夜のことを思い出す。警察だ、と手帳を出して見せて凄みをきかせて、少年だけを外に連れ出した。少年は大分不服そうな表情をしてみせて、あのままいけばオレが勝ってたんだ、とくちびるを尖らせてみせた。その様子があまりにこどもっぽくておもわず笑ってしまう。なんだよ、と声を荒げる少年はまだ10代に見えた。おまえ、名前は、と聞くと平山幸雄、と素直に答えた。悪いヤツじゃねえ。あの天才のような掴みどころのねえ、掴もうとすればこちらまでどこまでも堕ちてしまいそうな闇も見えねえ。おまえ、賭け事、好きなのか、と聞くと、賭け事が好きってわけじゃあないけど、と言う。ならなんであんな場所にいたんだ、と問えば、オレの能力が生かせるからさ、とすこしはにかみながら、しかし自信ありげに答えた。ほお、と煙草に火を点けながら応える。俺の頭の中にひとつの企みが浮かんでいた。その能力ってのはなんなんだ、そう聞くと、先が見える、と答えた。賭け事ってのは要は確率の問題だ。それを計算で当ててやる。そうするとみんなびっくりしやがるのさ。それを見るのが楽しいんだ。そう言って喉の奥を鳴らして笑う様子はひどく純粋そうで、こんなところにいるのが不釣合いにおもえるほどだった。けれど俺は、そんな少年を裏の世界に引きずり込むことを決めたのだ。すべてはその、はかなげな見た目で。
俺の企みはとても褒められたもんじゃない。それは自覚済みだ。もともと汚え刑事なんだ。清廉潔白からは程遠い。けれど幸雄はそんな俺を慕ってくれた。それはどうしてだと考え込んでしまうほどに。はじめてだった。こんな俺を、安岡さん、安岡さん、と慕い懐いてくれる人間に出会うのは。今までしてきた悪行がぜんぶ流されるような気がした。アカギがあらわれて、俺たちが一緒にいられなくなってからも忘れたことは一度もなかった。安岡さんが言うなら、とこちらを見て許可をとるような犬のような輝く瞳も、たまに見せるはにかむような笑みも、酔っ払って笑い上戸になったり泣き上戸になったり忙しいヤツだと思っていたら急にすがりつくようにして落とされたキスも。あのとき白い髪をくしゃくしゃに撫でるしかできなかった俺のきもちをきっとおまえはしらなかったろう。なあ、幸雄、俺はおまえに言わなけりゃならなかったことがふたつある。それはこんな世界に引っ張り込んじまってごめんなっつー謝罪の言葉と、おまえのことが好きだったよ、というガラにもなく恥ずかしがってついぞ言葉にできなかった告白だ。今頃になって、もう二度と伝えられなくなって、はじめて俺はこいつらを言葉にできる気がしている。ごめんな。ありがとう、好きだ。
好きだ。
幸雄、ほらもう一度あの笑顔で、俺に微笑みかけてくれ。