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愛妻家の朝食

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昼過ぎに、珍しくテレビをちょっとだけ見た。果物が煙草の害をすこし防ぐという。
本当かどうかもわからないが煙草を買うついでになんとなく八百屋に寄った。つやつやとした果実が並ぶ中でひとつだけ、うぶげに覆われた身を恥ずかしそうによせて白桃が置かれていた。手にとってその感触をたしかめて楽しみ、これ、ひとつください、と店主に声をかけた。白いビニール製のナイロン袋に入れられたそれを、これから帰ってくるであろうひとに食わせるときをおもっておもわず口角が上がる。袋をゆさぶりながら帰ると、すでに帰ってきていた南郷さんが驚いたような顔をした。それ、なんだ、と聞いてくるので、フフ、と笑って、明日、出かけるんなら食べて行ってね、とささやいた。戸惑ったままのその表情を見て一層笑みがこみ上げる。玄関先まで俺を出迎えた南郷さんのうしろを透かして見ると、やっぱり灰皿に山と吸殻が残されていた。

このひとと暮らし始めてどれくらいになるのか。たぶんそんなに日は経っていない。このひとは俺を手元に置いておきたがった。そうしないと不安なようだった。俺は大丈夫だよと言葉を重ねても彼にはさっぱり通じないようだった。俺がどんだけあんたのことが好きかも伝わりはしないようだった。ねえ南郷さん、俺はきらいなヤツとなんてぜったいに一緒にいたりしねえよ。そんなことあんただってしってるだろうに、心配性なひとだ。だけどそういうところ、きらいじゃあない。

南郷さんは今は会社につとめているんだという。だから朝は早いし夜は遅い。あんたがひとりでささと準備を整えて行っちまうから、俺はそれより早く起きてあんたに食わせるメシを用意するのが習慣になった。今日は昨日買った桃をデザートにつける。起きてきた南郷さんはそれを見て驚いた顔をした。あんた、驚いてばっかりいるな、と言うと、本当におまえが桃を買ってきてくれてるなんておもわなかったんだよ、と言った。そうだろうな。あんた、俺の持つ袋の中身の確認もしなかったもんな。俺を勝手に決めつけて、差し出した手を引っ込めるようなそういう、どうしようもなく腑抜けたところも、じつはそんなに、きらいじゃない。そんなことわざわざ言ったりもしねえけど。代わりに、早く食べなよ、煙草の害に効くらしいぜ、とだけ言う。そう言いながら煙草を取り出して吹かしたら、そりゃおまえにこそ必要だろうよと笑われた。あんたのそういう何の邪気もねえ笑みが、俺は好きだ。

その日は帰りが遅かった。こういう日はたまにある。日付を越えてもあのひとが帰って来ない夜だ。俺はそういう日は何故だか眠れなくなってぼろピアノの前に座る。あのひとがどっかで捨てられそうになっていたのを気まぐれに拾ってきたものだ。まるで俺みたいだ、と俺はこいつを見るたびにおもう。指をのせてみると、ぽろん、と音が零れ落ちた。そのまま音が繋がるように、俺とあのひとが繋がっていられるように、続いていくように、舞踏曲を拙い指先で弾く。俺がしる唯一の曲だ。ぽろん、ぽろん、と溢れ出る音は外に漏れて、今、あんたに届けばいいのにと仕様もない願いを俺に降らす。そんな願いはいつだって届かないで、あんたは夜がしらけて朝になっても家には帰って来ない。あんたの指先を思い出す。俺が弾く舞踏曲のように拙い手つきで、俺の髪を撫でるその手だ。大きくてごつい手が、ただやさしく俺の髪をいじくる。何が楽しいんだか、俺にはさっぱりだが、そうするとき南郷さんは決まってひどくやさしい顔をする。すこしほほえんで、アカギ、アカギ、とゆっくりと繰り返し名を呼ぶ。俺はその瞬間フワと宙に浮いたような心地になって、あんたのためなら髪を伸ばしたっていい、とおもう。

日が昇る。部屋の中には俺以外うごくものはなくて、ピアノなんて贅沢なモンもない。部屋の中は埃っぽくて何年もだれも帰っていないことは明白だった。あんたと一緒に一度だけ桃を食した傷んだ机の上をするりと撫でて、たのしかったぜ、なんごうさん、とつぶやいてみる。右手に握った指輪は葬儀のときにかっぱらってきた。あのひとの左薬指に輝き続けた光も、今はもう見えない。
「もう何もいらない」
一人きり空に話しかけてみたら、あまりの青さに目が痛くて、塩水が頬を伝って落ちた。



作品名:愛妻家の朝食 作家名:坂下から