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最初の地平線より『少女人形』

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 空は泣いている……まるで泣きじゃくる子どものように。
 ぱしぱしと窓を叩く雨粒は大きく、大地は吸い込みきれない水分をもてあまし始めていた。
 昼間ならばよかったのかもしれない、たとえ雲が太陽を隠してしまってもその合間を縫って地上を照らそうとしただろうから。しかし今は宵闇――街中ならば人々は明かりを灯していただろう。ここは街外れ、通る人など誰もいない。小高い山の麓は森に覆われ、深い緑がこの雨模様を余計に暗く彩っていた。
 大きな屋敷がひとつ――ここ一番の金持ちが住むというそこ。
 たくさんの部屋は使われ、豪華な調度が置かれている。
 が、ひとつだけなにもない部屋。
 そこに唯一ある椅子に腰掛けた少女がひとり。
 長い黒髪、開かれたままの紅い瞳。
 誰かがもしもこの人形に語りかけることがあっても、彼女からの返事はない……かたわらに黒い魔術師がいなければ……決して、ない。
「その人形は私だ……」
 ひとりつぶやいても返事などあるわけもなく――そもそも誰もいない、訪れない部屋なのだから。
 ただ少女人形は硝子細工の瞳を見開いたまま、闇を見つめている……せめて涙を流せればよかったのに。

 鏡は嫌いだった。本当のことはなにも映さないから。虚構しか映さない、ただの硝子細工。そう、私の瞳と同じような。
 ああ、こんな世界など壊れてしまえばいい……硝子細工みたいに。
 私、本当は要らなかった……。
 未来を読む力なんて要らなかったのに……。
 それに気づいたのは最初のママだった。今の体、この人形の体と同じくらいの年齢の時。
「ママ、これからあの馬車が突っ込んでくると思うの。別の道を行こう?」
 なにげないひと言だった。ママは、もう顔もおぼろげにしか覚えてない最初のママは、笑ってなに言ってるのなんて私の手を引いたけれど――次の瞬間、本当に馬が暴れて手がつけられなくなった荷馬車が道に突っ込んできた時には血の気が引いていたっけ……。
 それから、色んなことが変わった。ママはパパと一緒に何事か毎日相談していた。真っ黒な服装の人たちがたくさん家に来た。そして言ったんだ。
「お嬢さんは未来を読む力をお持ちだ」
 黒い連中のリーダーだと、ノアという名だと名乗った彼は私を見るなり断言した……。
 あまりいい評判を聞かない人間だということは私でも知っていた……でもそんな魔術師にまで頼るほどママとパパは悩んでたのかな。
 試しに自分の未来を読んでくれとノアは言った。
「黒い秩序が見える。大きな洪水が見える……これは終焉? そして真っ黒な本。綺麗な紅い瞳に長い黒髪、黒いドレスの女の人……あなたがどういう人かって、私は魔術師だとしかわからないけれど、そういうものが見えます」
「ほほう、本物だ。ご両親、魔術師としてこのノアが断言しよう。彼女はその魂で未来を見ている」
 ママとパパはその後私を部屋に追いやると、何時間も話をそいつらとしていたっけ。
 ――そして、その夜眠った私は人の体を失った――。
 永遠に少女の姿をしている、ほとんど変わらない体格の少女人形にすべてを封じられて……。
 最初のママとパパがどうなったのか、それからは知らない。
 普通の家庭だと思ってた。私があのひと言を言うまでは。
 そして……。
 私はたくさんの女の人――ノアの連れてきた女の人をママと思うようにと言われてその通りにした。
 でも……ママたちは私を商売道具としてしか見ていない。
 私、本当は要らなかった……。
 未来を読む力なんて要らなかったのに……。
 今のママは何人目だっただろう。永遠に人形のままの私と、そうじゃないママ。時間は容赦なく過ぎてどんどんママは違う人になっていく。
 ああ、絆など儚いもの……。
 ああ、温もりなど感じない体……。
 それでも私は、ただそれを求める……もう人ではなくなった少女人形の中で。

「ママ私を愛してママ私を愛して……」
 いつも訴えてる。声なき声で、胸が張り裂けるくらいに。
「ママ私を愛してママ……」
 いつも願ってる。声なき声で、切ない想いを抱いて。

 未来を読む少女の人形――。
 私は黒い集団の前でその忌まわしい力を使う。
 かたわらには初めて見た時と変わらない魔術師ノア。
 始まっては終わり終わっては始まる、支配人も観客も入れ替わるこの滑稽な舞台。ただ変わらないのは私自身とノアだけ……。
 もう少女の年齢を過ぎた私は、少女人形の中で未来を読む少女を演じる。この時の止まった屋敷で、ただひとり芝居を繰り返す――滑稽なくらい毎日、毎日。
 私自身の未来は見えないのかって?
 もちろん試した……そして見えたものは闇だ――昏い闇だ終焉は闇だどこまでも続く闇だ――世界の果てはどこだ……私の終わりはどこ?
 いくら歩いてもこの道の先は闇だ……。この硝子細工の瞳が映すものは深い深い暗黒。
 ああ、未来よ。ノアが作り上げた黒い秩序よ。待ち受ける終焉の洪水よ。
 ああ、ノア。魔術師ノア。嘘つきな歴史書クロニクル――早くなにもかも終わらせて……。
 私自身もなにもかも、すべて……そういえば、あの時見えた白い鴉はなんだったんだろう……。

「ママ私を愛してママ私を愛して……」
 いつも訴えてる。声なき声で、胸が張り裂けるくらいに。
「ママ私を愛してママ……」
 いつも願ってる。声なき声で、切ない想いを抱いて。

 空は泣いている……まるで泣きじゃくる子どものように。
 もしもこの先私が見たように本当にすべてが終焉の洪水で流されていくのならば、それまでの間ずっと。この忌まわしい魂と記憶を封じられた少女人形の私が朽ち果てるように。
 もっと降って。もっと泣いて。もっと世界を暗闇で包んで。
 長い黒髪、開かれたままの紅い瞳の少女人形。
 ただ私は、少女人形は硝子細工の瞳を見開いたまま、闇を見つめている……。
 たったひとつある小さな窓は雨粒に覆われ、くしゃくしゃに濡れて泣きじゃくっている。空は宵闇昏いまま、透明な水滴をここぞとばかりに流し続けている。
 涙を流さぬ人形の私に代わって……。

 最初の地平線より『少女人形』 了