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言葉を重ねたところで伝えたいことは一つ

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「唾液の効用ってスゴイよね」

臨也は語る。
よどみなく語る。

「どうして物をよく噛んで食べないといけないか知ってるかな?
 顎の力とか骨の話じゃない。そういうのをしてもいいけどね。
 噛めば噛むほど唾液は分泌されるんだ。口の中っていうのは一番初めの消化器官。
 殺菌力にすぐれている唾液があるからこそ人は虫歯にならない。
 こんなに毎日食べ物を食べて汚しているのに問題ないってスゴイことだと思わない?
 唾液には鎮痛作用があるって知っているかな?
 古い映画とか小説とかで怪我人が葉っぱを噛んでいたりする描写があるだろ。
 あれは薬草なり草自体に意味がある場合もあるけど、
 噛むっていうことが重要なんだよ。
 噛むことによって唾液が出て痛みが緩和される」
 
笑顔を帝人に向けてくるのはきっと嫌がらせだ。

「だから、ご飯はよく噛んで食べないとダメだよ」

飲み物で流し込んでしまおうとしたのを咎められた方が楽だった。
臨也の言っていることは多分それほど間違ってはいない常識的な事なのだろう。
帝人がいま置かれている立場は常識とはかけ離れている。

(なんだっけ? 僕が『ザリガニって伊勢海老と同じ味がするんですか?』聞いたから?)

昨日のことだ。
ドラマを見ていて気になった。
つい口から出てしまったのは油断していたからだ。
臨也の機嫌も良く、デザートに出された波江の差し入れのプリンは死ぬほど美味しかった。
目の前に臨也がいなかったら泣いたかもしれない。
帝人は天にも昇るような心地だった。
幸せを噛み締めていた帝人は臨也のスキンシップが激しかったのを無視してテレビを見ていた。

(さすがにパンツを脱がされたタイミングで言うことじゃなかった……うん)

そんな風には見えなかったが、地味に怒っていたのだろう。
微妙な嫌がらせの仕方をする臨也だ。

(ザリガニを……わざわざ)

それはそれで愛情なのかもしれない。
手間を惜しまない料理。
決して簡単ではなかったはずだ。
きっと泥臭い。絶対に美味しくない。
それが見た目や匂いで分かっていたとしても食べないといけない。

「ちゃんと味比べが出来るように伊勢海老の刺身もあるよ!!」
「臨也さん最高です! 惚れ直しました」
「え、本当?」
「すごいですね。綺麗で美味しそう」
「露西亜寿司に聞いたら捌いて取っといてくれるって言うから」

帝人を迎えに来た時に手に持っていた包みが伊勢海老だったのだ。
複数の意味において爆弾を持っているのかと帝人は心臓を痛くしていた。

(高かっただろうな。問題は値段じゃないよ)

ザリガニを露西亜寿司の板前に捌かせて、
伊勢海老を臨也自身が調理していたら帝人はテーブルをひっくり返したくなったかもしれない。

(良かった。本当に良かった)

帝人が気分を浮上させていることに気をよくしたのか臨也が小皿を出す。
禍々しい液体が皿を満たしていた。

「俺の特製ソースをつけて」
「臨也さん、僕は醤油派なんです。ソイソース!! むしろ、何もつけなくても良いぐらい」
「意外に帝人君はナチュラル嗜好だね。身体に良いよ」
「そうですね、僕は自分が大切なので塩分控えめな食生活にしますので、
 臨也さんはそれを一人で使ってください」
「ラー油のピリ辛と各種香辛料をブレンドした魔法の塩だよ」
「液体なのに?!」
「マジックソルトって上級者料理人の定番アイテムだろ」
「勝手に名乗るんじゃなくて商品名とかじゃないんですか、それ」

とりあえず帝人はザリガニを食べることにした。
食べなければ減らない。
減らなければ帰れない。
地獄の食卓の始まりだ。

「残ったら明日に甘酢あんかけとかにして」
「食べきります!!」

殺人度がパワーアップしそうでやってられない。
食べる前に中華で実際に似たような料理があると臨也は講釈を垂れていたが、
帝人の目の前にあるものはまったく似ていない。
不味い。絶対に不味い。不味いことだけが確信できる料理。
立ち上る湯気の悪臭は何かを焦がし過ぎた臭い。
口の中に入れている時間を少なくしたいのですぐに飲み込みたいが、
良く噛んで食べろと言われた手前その戦法もできない。
お弁当にして素知らぬ顔で正臣に食べさせるのも明日が日曜日なので出来ない。
何も知らない、心構えのない人間にこんな地獄を味あわせるほど帝人は薄情ではない、つもりだ。

(片栗粉か何かをまぶしてる? うにゅっと、ぐにゅっと……何この触感)

吐き出してしまいたい。
遠い目になりながら高温の油で揚げてから炒めただけのザリガニを食べた。




「伊勢海老って最高ですね」
「えー、俺のこと褒めてくれないの?」
「臨也さんの判断は最高でした」

料理は褒めない。
伊勢海老は美味しかった。
臨也が急に油を撒いて火を点けたりして遊びだしたが、
ただの焼けた海老だと思えば全然問題ない。
ソースを掛けようとするのを止められただけでも帝人にはよくやったと言える。

「帝人君はお腹いっぱい?」
「吐きそうなほどです」
「それは困るんだけどな」
「ちょっと揺すられたりとかしたら簡単にリバースします」
「あれ? 俺いじめられてる?」
「なんのことですか? お腹を触られている僕の方が苦しくて苛められてる気分です」

食後に微妙な味のココアを飲みながら腹を撫でられる。
食べ過ぎを心配されているのか単に触ってきたいだけなのか。

「帝人君がもしあんまり噛まずに食べてたらザリガニの殻とがが俺の手に触れられたかなと」
「そんな面白い人体の構造になった覚えはないんですけど」
「そーですねー」

指で突いて来る。

「苦しいですってば」
「食事前に言わなかった?」
「え? ガムでもくれるんですか?」
「惜しいな。……簡単なことだろ」

臨也の指先が帝人の唇をなぞった。

「自分の唾液が足りないなら人から貰えばいいだろ」
「つまり?」

言葉を重ねたところで伝えたいことは一つ。
臨也がしたがっていることなど目を見れば分かる。
分かるようになってしまった。
どんな時にその瞳が熱を帯びるのか帝人は知っている。

「キスしていい?」

答えは肯定以外にない。
嫌ならここにわざわざいるわけがないのだから。