紳士的な友達
私の友達は、とても優しい人だ。そのことに本田菊が気付いたのは友達―アーサー・カークランドと出会ってすぐだった。雨が降っていた日に傘を忘れてしまった菊に、自分が濡れてしまうのも省みずアーサーが傘を快く譲ってくれたのがきっかけだった。
でも、実際は少し違った。彼は優しいというよりは菊に対して実の兄のように過保護なのだ。菊が重い荷物を持っていると必ず重い方を持つし、もしも足を踏み外した時の為にと階段を上るときは必ず後ろを歩き、一緒の帰り道でも車道側を歩くのはいつも彼の方であり、やはり菊は守られる側なのだ。
初めこそ、そんな優しさを嬉しく有難いと思っていたが、友達となった今ではかえって他人行儀に感じてしまって少し寂しいと思うし、何よりいつも助けてもらってばかりでは情けないと思っている。とはいうのの、噂ではやんちゃなイメージのあるアーサーは実際には結構繊細な人だから(この前も、ちょっとした意見の食い違いの所為で泣きそうな顔をされてしまったりした)直接言うのは憚られてしまい「守られる側じゃなく、あなたを守りたいんです」の一言を菊はずっと言い出すことができないでいる。
「あ、菊。一緒に帰らないか?」
「はい。」
断る理由もなかったので菊は、彼の誘いに頷くが今日もやはりというか、菊を守るように車道側を歩く彼に菊は小さくため息をついた。黙っていればアーサーのその姿は、容姿もあいまって紳士さながら凛々しく本当に自分なんかがこんなに素敵な人の友達で良いのかと思ってしまう。と、たわいない会話をこなしながらも菊が脳裏ではやや不安を覚えていた矢先の事だった。
派手で耳障りなクラクションの音がして振り向いた瞬間だった。
「危ない!」
アーサーの手が菊の肩を強く押してくれたお陰で菊は難を逃れたが、アーサーの方は車に撥ねられた衝撃で数メートル先の路面まで吹き飛ばされ(元々が華奢な身体つきなので、落下による衝撃は少なそうだが)、左足はあらぬ方へ曲がり顔は血の気を失って紙のようだが、あまり出血は酷くないらしいのが幸いだった。誰かが救急車を呼んだらしく、遠くサイレンの音が聞こえる。そこで、ショックを受けて呆然としていた菊は我に帰るとアーサーの横たわるすぐ傍まで駆け寄った。
「アーサーさん!」
「うっ、きく」
「どうして私なんかを庇ったのですか!」
「そん、なの・・・友達だからに決まっているじゃねぇか。」
「ばか、本当にあなたは馬鹿ですよ。」
「ははっ」
こんな時なのに、菊を安心させようとしてくれているのかアーサーは力なく笑う。それが、健気でむしろ痛々しく菊は眉を顰め、唇を噛み締めた。
「傷病者はどこだ!」
間もなく、厳しい顔つきの救急隊員数名が担架を携えながら駆け寄ってきて、菊も一応病院へ担ぎ込まれることになった。
後日、病院内23号室。
「本当にごめんなさい、アーサーさん」
そこには深々とアーサーに何度も頭を下げる菊の姿と、ベッドの上で上体を起こしそれを苦笑しながら止めさせようとするアーサーの姿があった。
「そんなに自分を責めるなよ。」
そういうアーサーの声は普段よりも柔らかく穏やかな事に菊は疑問を感じるが、今はそれどころではない。
「ですが・・・」
「大丈夫だって、こんなの気にしないさ」
「大丈夫じゃありません!だって、あなたのその足はもう・・・この先治らないんですよ?せっかく入ったサッカー部の活動だってできなくなってしまうでしょう」
そう、本来律儀な性格も相俟ってその事実は菊にとって何よりも重かった。
「良いんだ。」
「そんな」
良いんだよ。これで。
風の音に掻き消されてしまいそうな程の微かな声がした、気がする。
「え?今何か言いましたか?アーサーさん」
「いや?何も言ってないぞ。空耳じゃないのか。」
そうか、空耳か。と、菊は納得してしまった。「これで。」だなんて、初めから事故に遭うことを望んでいたみたいではないか。幾らなんでもそれは有り得ない。そう、常識人名菊は決めて掛かってしまったのだ。
だが、この時に菊がもう少し自分の考えに自信を持っていたら物語りはきっと変わっただろう。しかし、この時の菊は気が付かなかったのだ。俯き加減に表情を隠したアーサーが満面の笑みを浮かべている事に。
そう、それは当然だった。彼、アーサー・カークランドは片足と引き換えに何よりも欲しかったものを手に入れたのだからむしろ、安い代償だっただろう。
事故から一年後。
全てが、アーサーの望み通りになった。
お人好しな菊は気付いていなかったかもしれないが、アーサーは自分か菊が大きな怪我をする機会をずっと狙っていたのだ。なぜならアーサーが菊に抱いていた感情は友情ではなく恋情であり、男同士の恋愛は現代のこの国では偏見が多く、ただでさえ律儀で常識的な菊は間違いなく自分から離れていってしまうだろう、だが・・・どちらかがどちらかの所為で怪我をした場合はどうだろう?きっと、この【親切な友達】は責任を感じてずっと自分から離れられないで居るに違いないと。要するに、菊の優しさに自分は漬け込んだのだ。
しかし、後悔など微塵も無い。結果として怪我をしたのは自分だからというのも有るが怪我が予想以上に大きかったのが好都合だった。「治らない期間」が長ければ長いほど、菊は俺の傍に居てくれる。しかも、そんな俺らを怪しむ奴なんか一人も居ない。
そんな幸福な未来に思いを馳せていたアーサーはふと、去年の事を思い出した。菊が、アーサーと友達になってくれた理由についてだ。
「雨の日にあなたが傘を貸してくれて・・・・・・」
そうだ。確かに自分は傘を貸した。でも、考えてみて欲しい。好きな人に親切にするのは当然じゃないか。
そもそもアーサーがサッカー部に入部したのは、菊が「サッカーをしている時のアーサーさんはかっこいいですね。」と褒めてくれたからに過ぎなかった。だから、別に片足を失ったところで何とも無い。そう考えていた時だった。
こんこん
ドアが優しく2回ノックされる音で誰が来たのかすぐにわかる。
あぁ、菊だな。
「はいっていいぞ。」
アーサーは上機嫌で入室を許可した。