手 紙(※同人誌「春の湊」より)
風間さん……いえ、千景さんと暮らしはじめてもうすぐ一ヶ月が過ぎようとしていた。
わたしを西へ連れ帰るまでは、彼は居座るつもりなのだろう。なんとなく、もうすっかりこの家の主のように振る舞っていることには、納得ができないのだけれど、意見をしたら逆手に取られて、わたしが何故か追い込まれるというようなことを、この一ヶ月で何度も繰り返しているので極力衝動を抑えている状態。
そもそも、わたしが千景さんの根本を正せるような気もしないし…。
そんなある日、京の八瀬に里を持つ、お千ちゃんからお手紙がやってきた。
驚きと喜びで、わたしは机の前で正座をして、すぐにでも彼女のお手紙を開く。彼女からのお手紙は、挨拶もそこそこに、天霧さんから、千景さんがわたしのところにいることを耳にして、酷く驚き、心配する内容だった。
彼女のお手紙を読み進めるうちに、気まずさを通り越して、どんどんと憂鬱に沈み込む。
そうよね…わたしと千景さんがこんなことになってるなんて、お千ちゃんからしたら、寝耳に水できっとありえないことだろうし、心配もされちゃうわよね…。
当のわたしだって、京を出る時にはこんなことになるなんて、予想だにしなかったんだもの…。
そう思うと、何故、よりにもよって、千景さんだったのだろうと自分で自分が信じられないような気にまでなる。
はぁ、とため息を漏らすと、わたしは机の上にある文箱をあけて、墨を磨る。さっそく、彼女へのお返事をしたためるために。
うーん…と唸り、書き始めを頭の中で巡らせながら、時候の挨拶と京ではとてもお世話になったことへの感謝をまず記すと、本題へと移った。
『天霧さんがおっしゃるとおり、千景さんはわたしのところにいます。いえ、居座っています。西へ連れてゆくといって動きません。お家では毎日お酒を飲み、何をするでもなく過ごしています』
くだけた口語体で、何か日記のような気もするけれど、わたしは気にせず続けた。
『この前、千景さんはわたしを無理矢理お布団へ連れ込みました。不覚にもそのまま寝入ってしまたのですが、次の日、酷いいじめを受けて、名前の呼び方を変えさせられました。習慣で、”風間さん”と呼んでしまうと、お仕置きと称して、ほとんど有無もなく唇を奪って来ます』
書いているうちに、その時のことを思い出し、赤面と同時に腹立たしさを覚える。
『わたしは診療所のお仕事で忙しいのに、すぐ膝枕をねだってきますし、晩酌には必ずお酌をさせられますし、あれこれ理由をつけてはお布団に引っ張り込もうとしますし、あ、いえ、大丈夫です。引き込まれるのは時々で、ほとんど頑張って阻止してますから。でも、”ならばお前の褥でも構わぬぞ”などと言ってわたしを困らせます。本当にもう、いろいろとやりたい放題です』
ムカムカが募り、さらに続ける。
『つい先日など、往診先の奥方様とお嬢様たちに、千景さんのことを聞かれました。いつの間に旦那さんをもらったの、と。わたしは知らなかったのですが、そんな噂が広まっているそうで、誤解だと言いたかったのですが、そうなると男の人を連れ込む不埒な娘などという札がわたしにつくだろうと思い、大変不本意ながら、葛藤の末何も言えませんでした。そのことを帰宅後千景さんに告げると、とんでもないことを言ったのです。勇気のあるご近所の誰かから、千景さんが外出した際、わたしとの関係について尋ねられたそうなのです。そうしたら、”千鶴は俺の妻だ”みたいなことを恥ずかし気もなく、いえ、厚顔無恥にも言い放ったというではありませんか!もう、その時のわたしの衝撃と言ったらありません。木槌で頭を打たれたかのようでした。本当に身勝手で、許せません。だから、しばらく口をきいてあげないことにしました』
少し、鼻息が荒くなってくる。思い出せば思い出すほど、ムカムカが増す。
『まったく、どうしてわたしもあんなひとと暮らしているのか、よくわからなくなってきました。大体、わたしは迎えに来て欲しいなんて頼んでません。千景さんが勝手に来たのです。勝手に来ておいて、この言動はどうなのでしょう。まったくわたしはあのひとが理解できません』
気づけば随分と長文になっている。でも、まったく気にならない。
『お千ちゃん、今のわたしの日常はこんな感じです。それでもわたしは一応元気にやっています。診療所のお仕事も慣れてきました。心配してくださってありがとう。お千ちゃんとはまたお会いしたいです。お会して、お話がしたいです。京に行くことがあったら、必ず八瀬の里へ立ち寄りたいと思いますので、その時はどうぞよろしくお願い致します。
まだ京も冬の寒さが厳しいと思いますが、お体をご自愛ください。
それでは名残惜しいですがこれにて。
雪村千鶴』
一気にそこまで書ききると、筆を置き、わたしは満足した。
「…これでいいわ。これだけしっかり記せば、お千ちゃんもきっと安心ね」
先ほどまではムカムカしていたはずなのに、なんだかとてもすっきりと清々しい気持ちになり、わたしは頷いた。
墨が乾いたら、彼女の元へ送るとしよう。これでわたしの日常が彼女に伝わるだろうし…。
お手紙を書いて、憑き物が落ちたような気分になったわたしは立ち上がり、伸びをする。
鬱屈していたものが薄らいだし、もうそろそろ千景さんを許してあげようかしら。お茶を淹れて和解しましょう。……ああ、その前にお茶菓子を買って来ようかしら?…そうだついでに、千景さんをお散歩に誘うのもいいかも。
わたしは鼻歌混じりに部屋を出る。足取りは軽かった。
…後に、わたしの(呪いのこもった)お手紙を読んだお千ちゃんが、「これは本当に大変なことになっている」とさらに心配をして、天霧さんを伴い江戸までわたし(と千景さん)に会いにくることになろうとは、思いもしなかった時のこと。
了
【後書きみたいなもの】
本人は愚痴ってるのですが、第三者からみると、惚気にしか見えなかったりもします(苦笑)。
ですがお千ちゃんは誤解をして、はるばる江戸へ(苦笑)。
作品名:手 紙(※同人誌「春の湊」より) 作家名:なこ