糸しい糸しいと叫ぶ間
「――今朝、コンビニ寄れなかったんだよなぁ」
竜ヶ峰帝人は、嵐が過ぎ去った購買部の前で立ち尽くしていた。来良学園は大都会にあるというメリットの一方で、敷地面積や条例的な都合から施設面ではいささか後塵を拝している。
彼の親友・紀田正臣風に解説すれば「よーするに食中毒やら何やら出すとまずいから、コンビニとかで買っておけ☆ってことだよな」とのことだ。
唯一の蜘蛛の糸は、やきそばパンやらチョココロネやらが並ぶ購買部ではあるが、競争率は極めて高い。腹をすかした運動部が、昼休みの前に襲いかかり食いちぎりそれこそ、イナゴが去った後の畑のよ うに何もなくなる。なお、この表現は帝人が幼い頃に実家の祖父から聞かされた体験であり、彼の思考が偶然その状況を想像させたのだったりする。
昼食は抜きかと、とぼとぼと歩きだした帝人はしかし、それを知られるには少々まずい相手がいた 。屋上で食べる約束をしている相手である。
まさか、ダラーズに連絡して「食料、来良学園に一人前出前を」と頼むわけにもいかず。(そんなグループの利用方法絶対嫌だ)
園原杏里は、クラスの中で友人らしい友人は張間美香しかおらず、その張間美香は四六時中一緒にいる恋人(以外には少なくとも帝人の目には見えない)の矢霧誠二と、手作りの巨大重箱の凝った中身をあーんさせることに熱中している。今日は中に一口パイまで入っていた。あれって手作り出来るものなのかと帝人が驚いたのは数分前。
一人で食べることになってしまう彼女に心の中で五万回謝りなが ら、急に用事が入ったとのメールを打ち始めた時。
『今日、お昼どうしますか』
着信音と共に入った短いメールに心が揺らぐ。
どうしようどうしよう。こちらから切りだすのと、断る返事を出すのはずいぶん気持ちが違ってくる。
どんどん昼休みは過ぎていく。秒針、分針、また秒針。
もうこうなったら、「委員を口実に先生に仕事を頼まれて、そのお礼に簡単にお昼を食べさせても らった」という適当な理由をつけようと覚悟を決めて屋上に向かうと、果たしてそこに彼女はいた。食堂のない学園で一 番人気のある食事場所は屋上だ。ビル街も雑司ヶ谷の緑も見渡せて、ちょっとした観覧スポットでもある。
バトミントンをしている生徒や、楽器を演奏している生徒もいたりして賑わっている。待ち合わせの 相手、杏里はそうした生徒の少ない北側のコンクリートブロックをベンチ代りにして座っていた。掌には最近発売されたライトノベル。恐らく、狩沢女史のお下がりだろう。彼女は人の勧めたものは何でも経験してみるきらいがある。そうい うところはとても素直で好感が持てるものだけど。
うっかりダラーズチャットに招待しないように気をつけないと。臨也さんとかに目を付けられそうだなぁ。
もういることも知らないどころか、杏里の方がある意味、臨也に危険回避目的に目を付けていることも知らない帝人は、ため息をついた。学園は結構それなりに平和なのである。
ああ、でもセルティに影響されて、無灯火でバイクを乗り回したら……それはそれで面白いかもし れない。
必死に影響の蜘蛛の巣取り巻く池袋から彼女の聖域(と書いてサンクチュアリと読むのもそれはそれでちょっと格好いいと思えるくらいに帝人はまだ若い)がどこまでなのか考察している帝人は、それなりに血糖値が低下していたため、あまり人の話を聞いてなかった。
「……それで、セルティさんと」
ん、セルティ?
差し出されたのは、大きな重箱。
似たようなのはそう言えば、ク ラスで毎日見ている。遠くから見ているだけで、何だかいけないものを見ているような気分になる、矢霧誠二と張間美香 のカップルが食べている弁当箱だ。
「あ、箱は美香ちゃんから借りた んです」
ふたが開けられて、二人分としても多いタコさんウィンナーやら、卵焼きやら、ミートボールやら、 ハート形のさくらでんぶご飯やら……。マンガの世界でしか見たことのない弁当に、帝人は思わず、真っ赤になった。
「模様はね、美香ちゃんがセルティさん向けにって決めた奴なの。ほら、食べる相手はあのお医者さんしかいないから。私の分はついでにってね」
繰り返そう、下宿組の多い来良学園生徒の一員である竜ヶ峰帝人の目下の課題も、また「食」である。
惣菜物やら、外食で済ませている男子高校生はそうそう手作りのおかずなどお目にはかかれない。たとえそれが、 少々焼け焦げがついていたり、多少砂糖が多かったりしても、だ。
「おいしいですか?」
「う、うん!」
「良かった。あのね、美香ちゃんが料理は愛情って言ってた んです」
「う、うん?」
「例えば、この卵も農家の人が大切に作っただろうし、この鮭も漁師の人が大切に釣った。そう いう愛情なら、何となくわかるなって」
そして、ましてやそんなラブラブ(に一見見える)弁当を、憧れのクラスメイト に空腹時に目の前に差し出されて、夢中にならない男子高校生がいるだろうか。イワンヤ・ダンシコウコウセイ・ヲ ヤ! 三国志好きの帝人の親友なら反語でそう答えてくれるに違いない。
それでも、あえて杏里は彼が食べることに夢中になっているときだからこそ、内心に近いことを語れ たのだろうか。なくなっていく食材ごとに、誰かの身体の中に。
予鈴が屋上に響き、蓋は閉じられる。ごちそうさまの挨拶を交わす。容器と箸を洗って返すのは、帝人が受け持つことになった。
それだけでも彼らにとっては小さな好 ましい関わりあいであることは、この街の空は知っている。
細い糸が無数に入り乱れるこの街でも、晴れた日の一瞬、空は確かに存在するのだ。
fin
作品名:糸しい糸しいと叫ぶ間 作家名:かつみあおい