春という季節
春とは出会いの季節でもあり、出立の季節でもある。
春とは、始まりを告げ、別れを連れてくる季節。
「こんにちわ、ノボリさん」
このバトルサブェイでは季節を感じる事など出来ない。
地下に存在し、太陽の光届かぬ空さえ拝めぬ場所。
暦などカレンダーで覗くくらいしか方法がない。
だから、分からなかった。時が経つと言うことの残酷さに。
「お見事ですトウコ様。最早このスーパーマルチでも群を抜く強さ」
感嘆の心から拍手を送ると、目の前の少女は嬉しそうに頬を掻いた。
「ノボリさんが強かったからです。だから私はもっと強くなろうと思えたの」
「そう言ってもらえるとサブェイマスターとして誇りに思います」
この少女がここに来てどれくらいが経ったのか、正直覚えていない。
けれど、そんなに長い間でも無かったはずなのに。
いつの間にか、この少女は強くなっていた。
「ノボリさん」
「はい?何か」
見上げて微笑んでくる少女に、不謹慎ながらも淡い思いを抱いたのは何時の頃か。
それもやはり、覚えていない。
けれど、今自分は確かにこの少女を愛おしいと思っている。
それだけで、十分だと思う。
「ノボリさん。私、旅に出ようと思っているの」
「旅、でございますか?」
はい!と笑顔で頷かれて、私は小首をかしげる。
この子はいつもポケモン達と旅をしていたのでは無かっただろうか。
「私も強くなったと思う。だけど、外にはもっと強いトレーナーがいるって言われて」
拳を握り、未来を見つめてい愛おしい人に私は目を見開いた。
「イッシュを出ようと思っているんです」
心が、悲鳴を上げて崩れ落ちた。
耳が拾ってくるのは電車が線路を走る音だけ。
視界はフラッシュがたかれたかのように、チカチカして思うように世界を映し出してはくれなかった。
気がつけば、いつのまにか駅に降り立ち、トウコ様に手を握られていた。
「ノボリさん、私強くなって来ます!行ってきますね!」
眩しい程の笑みに、私は笑い返せていただろうか。
いつも、クダリに感情が希薄だと言われてきたけれど、最後くらいは笑っているだろうか。
「はい、お体には気をつけてくださいまし」
「ありがとうございます!」
そう言って、手を振りながら去っていく後ろ姿をただ見つめる事しか出来なかった。
光り輝く世界へと旅立っていく少女の背中を目に焼き付ける様に。
あれから2年。少女からの音沙汰は無い。
「あぁ、ですがもう少女と言うには少し時が経ってしまいましたねぇ」
彼女が消えてから、いつの間にか自分は季節を気にするようになった。
廻る季節を数えて、2回目の春。
「トウコ様は今頃どこで名を馳せておられるのやら」
瞼を閉じればあの時の背中が思い出せる。
「黒ボス!マルチトレインまでお願いします」
思いを馳せていると、アナウンスからバトルの準備を知らせる報が入ってきた。
「おやおや。今日はお忙しいですね」
クダリも今日は引っ張りだこだと呟いておりしまし。
春とは出会いの季節ですから、挑戦者が多くなるのかもしれません。
席を立ち、自分の車両に向かう途中で、長年の同胞に声をかけられた。
「黒ボス。今日はきっと良え日になるなー」
「はい?良い日、ですか?」
「ん?なんや、聞いてないのか。そら、お楽しみに」
勝手なことを言って、手をひらひらさせながら立ち去っていった同胞。
一体何を楽しみにしろというのでしょうか。
(今度の挑戦者がとても強いから楽しみに、ということでしょうか)
それはそれでとてもやりがいがあり、心躍るというものです。
車両に乗り込み、相手を待つ。
この時の高揚感はいつ、どんな場合でも好ましい。
ブザーが鳴り、挑戦者が扉を開いたことを告げる。
そして、いつもの台詞を告げようと息を吸い込んだ瞬間。
息が止まった。
「お久しぶりです。ノボリさん」
記憶にあった面影よりもずいぶんと大人びた、少女がそこにはいた。
「・・・トウコ様」
「あ、よかった!覚えててくれたんですね!」
忘れられているとばかり思ってました、と苦笑しながら頬を掻くその仕草に、
私は自然と笑みがこぼれた。
いくら時を経ようとも、変わらぬこの人に、私の心も変わって等いなかった。
「忘れるはずなど、ないでしょう」
「へへ、嬉しいです」
じゃ、さっそく!と言うと、彼女はモンスターボールを向けてくる。
「バトルといきましょうか!」
蒼の瞳が一瞬にして好戦的な光を称えた。
そのことに胸が高鳴る。地が沸騰し、足下がふわふわと浮上する。
こんな感覚は久しぶりで、口角があがるのが抑えられない。
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますトウコ様」
「2年間の旅の結果、見せてあげます!」
そして、バトルを開始するブザーが鳴った。
春とは出立の季節でもあり、出会いの季節でもある。
春とは、別れを連れて、始まりを告げる季節。