たつのみやあかよろし
薄ぼんやりと見る視界には、誰も居ない。左手の指先をあげて、一、二度敷き布を叩く。しかしもちろん、そこには何もない。
ゆっくりと上体をあげると、ようやく有様を認識した。
自分の部屋の寝台には、自分以外誰も居なかった。
まぁ、それは普通ならば可笑しくはないのだが、今日は少し違うはずだった。
昨日、自分ともう一人が同じにこの寝台に潜ったのだ。自分が眠るまでは横に居たはずなのに。自分より早く起きて出て行ってしまったのだろうか。
あの鯛は勤勉だから、と思うと、ふ、と唇が弧を描いた。
上掛け代わりにしていた衣を羽織り、幾重にも連なる天蓋の帳を払いのけ、絨毯に足をつける。
そのまま床に放り出されていた組紐を拾い上げ、軽く腰に巻きつけると、部屋の扉を少し開けて、顔を覗かせた。
「京介」
「……お早うございます、篤志様」
姿勢良く立っていた少年、京介と呼ばれた彼が軽く頭を下げる。
「おはよ。拓人は」
「拓人様なら、御自分の部屋に戻られたようですが、もしかしたらお出かけになっているかも」
「あぁ、やっぱな」
それに頷くと、京介の目線が少し細くなって返された。
多分その視線は、自分が怠惰に寝ていたことを咎めているのだろう。
「何だよ、その顔……いいだろ、今日は特に予定も無いしな」
篤志は捨てるようにそう言い放った。
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地上に暮らす人間達が御伽話として笑う竜宮城は、実在する。海には珊瑚で出来た美しい城があって、正しく此処がその名前を戴いている場所だ。
ただし、そこに居るのは舞や踊りが美しい魚達だけではない。地上で人間として生きていた頃に、大きな罪を犯した者達が繋がれている海底の牢獄でもあった。
かつて海神の眷属になることは、永遠に許されない罰を喰らうことでもあった。それは人の姿を捨て、海獣や魚に身を変えるということである。
こうしている今、形も生活もひとと同じだが、もう二度と生まれ変わることもなく、地上には出られないのである。
しかしそれで気が弱まるような者であれば、間違いなど元より起こさない。ここに居るのは一筋縄ではいかない者ばかりであったし、これを第二の運命として謳歌している様だった。
此処の主たる篤志は、生きていた頃は傾城と渾名され、ほうぼうで国滅ぼしと囁かれていた。
誰かの陰謀に乗り働きかけたり、何かの策略を練ったことなど、篤志は一度もしたことがなかった。
だが、結果として彼を迎えた家が潰れたり、攻め込まれたりと、わざわいが続いたのだ。
最期はその時の御世、帝の北住処にまで身をいれたが末皇子と不義を働いたとして、その皇子と共に処刑になった。
実際にそれがあったかも噂話でしかない。中にはそれを大元の理由として、荒れはじめた世の全ての責任を傾城の名の通りにとらせた、という話も市井には上ったという。
しかしそんな話も、海へ落ちた篤志には知る由もない。自分の今生での処遇など、さして気にする性質でもなかった。
どちらかというと篤志は、最期の最後に、世の宝ともいえようなその皇子を道連れに出来て、満足だったのだ。
一番の仕返しをしてやったと信じている。だからこそ永い時を背負わされる竜宮で、悠々と、傾城から竜宮妃と渾名を変えて暮らしている。
□■□
京介はこの篤志の部屋の前で、近衛として立っていた。だが、その態度はどこか不遜であり、つまらなそうな篤志の顔をもういちど見た京介は、構いませんけど、と呟いた。
「むかつく態度だな」
そう言うものの、篤志は別段怒る素振りは見せない。
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生前、京介は街を渡り歩く旅一座の一員だった。両親は幼いころに別れていたので、年の離れた兄と二人でその一座の世話になり、芸を磨いて暮らしていた。
ある日、兄が足を負傷した事件があった。兄弟共に剣舞、棒術を絶賛されていたが兄の足の傷は治癒せず、二人で舞台に立つことはもう無かった。
兄はその事が原因で荒み、弟に当たるようになった。兄弟仲もこじれはじめ、一座の座長もそろそろ、と諦めの溜息を吐こうとしていた頃、それが起きた。
とある海辺の町に滞在していた時、夜になっても戻らない京介を皆が探したことがあった。松明を掲げ、砂浜を捜索している時、手に石を持った京介と、その傍らに倒れている兄を見つけた。闇と炎の間でもはっきりと、飛び跳ねた血が理解る。
すぐさまに京介は捕えられ、白洲に出された。何を聞かれても答えず、そのまま兄殺しの罪で入水の海獄を申し渡された。
舟に乗せられ沖まで出る最中、船頭にぼそりと京介は言った。話を聞いてほしいと。
彼曰く、殺したくて殺したのではなく、兄が殺してくれと懇願したという。兄さんは芸に一途な人だったから辛かったんだ、と告げる横顔はしろくうつくしく、船頭は思わず手を止めてしまった。此処か、と京介は呟くと毒の丸薬を含み、ひらりと舞うように舟から海へ堕ちた。
それからたどり着いた竜宮で、話を聞いた篤志が、自分の部屋の番人にしようと決めたのだった。
得意だという演武の腕が落ちぬよう、意匠を凝らせた棍をも持たせて。
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※かるく短編のような感じでつながっています。
作品名:たつのみやあかよろし 作家名:唖紗まやこ