雪割草
〈46〉京の都
一行は朝早く京に入り、その日のうちに東山の清水寺に参拝した。
助三郎はふざけてとんでもないことを提案した。
「新助、ここから飛び降りてみろ。」
「なんでですか?」
「清水の舞台から飛び降りるって言うだろ?実践してみる価値はあるじゃないか。」
「これ、助さん。変なことを言うでない。」
光圀からお叱りが入った。
「おいら、高いとこ嫌いだから無理です。助さんが自分でやれば良いんじゃないですか?」
「冗談だよ。俺は死にたくないし、お前に死なれてもイヤだ。」
「ねぇ、あの人…。」
由紀が指さした方には飛び降りようとする人がいた。
「本気かよ…。ご隠居、止めた方がいいですか?」
光圀から指示が出る前に、近くにいた寺の住職が
「旅のお方、放っておいて構いません。」
とあっさりした口調で、飛んでいこうとした助三郎を止めた。
「しかし、自殺は止めないと…。」
「自殺ではないんですよ。誰が言い出したか知りませんが、あそこから飛び下りれば願いがかなうとか…。現に、落ちても死ぬものはごくわずかです。年寄りや子供はやめた方が良いと一応注意はしております。」
「はぁ。そうですか。」
なんか、よくわからないことするんだなぁ。と思いながら早苗は下をのぞいてみた。
本当だ。飛び降りた人を取り巻いて喜んで騒いでる。
よく足が痛くないなぁ。
住職から、清水寺の歴史や逸話などの話を聞き取り、一応本業の仕事をしている助三郎を横目に、早苗と由紀はこそこそ話していた。
「あの人、ちゃんと聞きとって書いてるわよ。」
「でも、字が汚いから後で読めないに違いない。あのまま国に持って帰ったら怒られるぞ。」
「早苗が代わりに清書してあげたら?」
「この世にいないやつが書いた物なんか藩に納められない。」
「格さんはこの世にいないの?」
「社会的に存在しないんだ。」
「でも、為替の受け取りするとき、男の方の名前書いてるでしょ?あの文書とかって藩に行くんじゃないの?」
「そういえば…。なんであの名前で問題なくやり取りできるんだ?」
「案外、藩政っていい加減なことやってるのかもね。」
「そうなのかな。」
そうしているうちに、話は終わったらしい。
光圀が皆に提案した。
「縁結びの神社があそこにある。お銀以外、皆でお参りしてきなさい。」
「ご隠居さま!何でわたしは例外なんです!?」
お銀が怒った。気に障ったらしい。
「お前さん、もう必要ないじゃろ?嫁になど行かないと言っておらんかったか?」
「言ってません!わたしだって結婚願望あります!」
「ハッハッハッハ!すまんすまん。では皆で行ってきなさい。ワシはここで待っておるからの。」
早苗は神社で必死に神頼みした。
助三郎さまに好きって言ってもらえますように。
心変わりされて捨てられませんように。
無事にお嫁さんになれますように。
「…格さん。この前言ってた人か?」
「まぁ…。助さんは?」
「決まってるだろ?早苗だ。捨てられませんようにって。」
この人もおんなじこと考えてたのか。
でも、日頃の行ないを見てるとなんか納得いかない。
「あんまりよそ見してると捨てられるかもな。」
「え?俺、そんなことしてないぞ。」
「はぁ?」
あきれ返っていたところへ由紀が手に何かを持ってやってきた。
「早苗、これ。」
「なんだ?」
「縁結びのお守り。持っておきましょ。お互いお相手と幸せになれますように!」
「ありがとな…。」
効くといいな、お守り。
参拝した後、一行は近くに宿を探しながら歩いていた。
突然、早苗の横にいた助三郎がつぶやいた。
「…早苗?」
なに?今は格之進の姿のはず。
変身、解けてないよね?
一応確認したが間違いない。
着物は男物、目線は高いまま、手は大きくてごつい。
不可解な言葉を発した助三郎を見ると、自分ではなく違う方向を見ていた。
「どうしたの?」
と早苗が聞く前に由紀が聞いた。
「いや、さっき向こうを通った人が早苗に似てたから。」
「…早苗さんは、水戸だろう?こんなところに居るわけがない。見間違えだろ?」
そうに決まっている。姿は違うし、水戸にはいないけど、わたしは今ここにいる。
「助さん、寂しいからって女の人みんな早苗さんに見えるんじゃないんですか?」
と新助がからかった。
「寂しくなんかない!」
と新助に喰ってかかった。
「ごめんなさい。許してください。離して…。」
「助さん!乱暴すぎる、素人相手に本気出すな。大丈夫か新助?」
「はい。助かりました。」
その後、宿で一息ついたあと助三郎は光圀に呼び出された。
「これからちょっと使いを頼まれてくれんか?この文を届け、返事をもらってきてほしい。」
「はい。わかりました。」
いつもなら大名への使いだったが、今回は公家だった。
勝手が違う身分の高い公家相手に少々気疲れしてしまった。
御老公は隠居前、中納言の身分にいらっしゃったそうだから京にそっち関係の知り合いもいるんだな。
でも、なに頼んだんだろ?笑って返事を書いてくださったが。
京の雰囲気を味わいながら、帰り道を歩いていた助三郎の目に、通りの隅でしゃがみこんでいる女の姿が目に入った。
女の子に声かけるとすぐ格さんは怒るが、困った人は老若男女助けるべきだ。
「どうかなさいましたか?」
「…へぇ。下駄の鼻緒が切れてしもて…。」
あ、やっぱり京だなぁ。話し方が上品だ。
「これをお使いください。」
と持っていた手拭いを裂いて手渡した。
女は鼻緒を器用に直し
「おおきに…。」と会釈し立ち去った。
助三郎は一瞬目に入った彼女の顔を見てはっとした。
早苗?
すぐに確認をしようとしたが、人混みに消えてしまってもう見えなかった。
やっぱり見間違いかな。目がおかしいのかな?
目をこすりながらふと足元を見ると、さっきの女が落して行ったらしい袋が落ちていた。
西陣織で作られた、高級そうな細長い袋の中身を確認して驚いた。
「…これは、懐剣か?」
そこそこの身分の武家が持ちそうな一品だった。
妹の千鶴もこんなの持ってたな。
でも、あの人は何者だろう?
身なりからして武家娘ではなかった。
きっと探しに来るに違いない。また、会ったら渡してあげよう。
「ご隠居、ただ今戻りました。文の返事です。」
満面の笑みで文を読み、
「ほう、これは上々。さて、皆を集めなさい。」と命じた。
「何の文だったんです?お公家様に頼みごとですか?」
こんなに喜んで、いったい何なんだ?
「お前さんに話したであろ?良いことじゃ!楽しみじゃのう。
風呂に入らなければいかんの。それなりの格好せねばならんしの。」
「は?」
一人で年がいもなく浮かれ始めた光圀を訝しげに見る助三郎だった。