金銀花
「……日に日にイヤになってるみたいだが、理由でもあるのか?」
「えっ?」
「その……好きな男がいるとかさ」
自分の言いたかったことに直接つながる話題が千鶴の方から持ち出された。
溜まったものを吐き出す、本音を打ち明けるいい機会だと思ったが、不安と恥ずかしさで香代の顔は真っ赤になっていた。
一方、少し鈍い千鶴は彼女をからかい始めた。
「あ、図星か。誰だ? その男は?」
「……知りたいの?」
「あぁ。知りたい。質問するから、答えてくれる?」
遊びの軽いノリで聞いてくる彼女に少し香代は落ち着きを取り戻した。
「わかったわ……」
千鶴は香代に質問を始めた。
「歳は?」
「同じ」
「家格は?」
「ちょっと上」
「次男か?」
「多分」
「香代の片思い? それとも両想い?」
「たぶん、片思い…… というより、向こうはわたしのこと友達って思ってる」
ここで気づいてくれればと思った香代だが、ダメだった。
質問はまだ続いた。
「録高、家格に執着するヤツか?」
「ううん。まったく興味ないみたい」
「じゃあ、性格は?」
「男らしいけど、優しくて、わたしのこと誰よりもわかってくれる。いつも守ってくれる」
「すごく良い条件じゃないか、早く父上に頼んで婿にしてもらえよ」
男になって、兄に似たせいか以前より鈍感な千鶴に、香代は少し悲しくなった。
一言だけ彼女に返した。
「無理」
「なんで?」
「だって……」
「だって、なんだ?」
香代は、黙っていることが出来なくなった。
眼のまえの千鶴にどう思われようが、今の苦しい気持ちを吐き出したかった。
「だって、その人、千鶴だから……」
「え!?」
気付くと、香代は千鶴に抱きついていた。
「ごめんなさい。もう千鶴が男の子にしか見えないの。大好きなの」
「俺が?」
「そう。格好いいし、優しいし、わたしの一番の味方」
「俺が?」
抱きつかれたまま、千鶴は自分の気持ちを整理し始めた。
毎日香代に会いたい。明日の約束をされると、舞上がる気持ちがする。
見合い話を聞いた時、胸の奥のどこかが痛くなった。
悲しい顔も最近かわいく見える。ニコッとされると今までになく嬉しい。
夢に香代が出て来て、嬉しくて寝続けて寝坊した。
気付くと香代のことを考えている。
はっと我に帰ると千鶴の腕は香代を抱きしめていた。
勝手に動いた自分の腕に驚いたが、腕の中の香代が今まで以上に可愛く大切な物に見えた。
自分の気持ちがはっきりわかった。
「香代…… 俺も……」
「え?」
「……俺も、香代が好きだ。前より、ずっとずっと好きだ。友達としてもだけど、女の子として、大好きだ」
「ほんと?」
「あぁ。好きだ、香代」
思いが通じた二人は、さらに強く抱きしめ合った。
「香代、見合いにはもう行くな」
「行かない。絶対に行かない」
「夕方まで、俺と一緒に隠れていればいい」
「わかった」
本当に香代と千鶴は昼のあいだ人目につかない所に隠れていた。
ずっと抱きしめ合い、本当の男女の密会になっていた。
しかし、とうとう日が沈む時間になった。
千鶴は香代から身体を離し、申し訳なさそうに言った。
「香代もわかってると思うけど、俺は本物の男じゃない」
「わかってる。もうじき女の子に戻る……」
「それもそうだが、姿は男だけど。子供が作れないらしい。だから結婚は無理だ」
諦めてくれると思った千鶴だったが、香代は妙なことを呟いた。
「……結局、わたしは子を産む道具」
「……何言ってる?」
「……だって、そのために婿を取るんでしょ? 後継ぎの男の子を産ませるために」
「そんなことない」
「だって、そうじゃない。男の兄弟がいないからわたしが婿取りしなきゃいけない。好きでもない男の人と赤ちゃん作らないといけない。女なんかに生まれるんじゃなかった」
「落ち着け。そんなこと言うな」
しかし、香代は落ち着くどころではなく、とうとう姉の悪口を言い始めた。
「姉上のせいよ。仕事って言っておきながら、奥方さま裏切って殿さまに媚売って、誘惑して赤ちゃん作って、好き勝手して!」
「おい! それ以上言うな!」
姉が大好きだった香代がそんなことを言うのが千鶴には信じられなかった。
相当、神経をすり減らして見合いをする香代が不憫でならなくなった。
再び香代を抱きしめると、彼女は泣き出した。
「姉上は騙されたのよ…… わたしはそんな風になりたくない……」
「大丈夫だ、そんな風になるはずがない。大丈夫」
香代が落ち着いた頃、千鶴はある決心をしていた。
「俺はこのままだと、女に戻る」
「そうね……」
「だから、もう一回男になる」
「え!?」
「秘薬をもう一度使えば、男に変わっている期間を延ばせる。半年、いや一年二年平気になるかもしれない」
「いいの? そんなことして?」
「……香代を変な男に取られたくない。いつか、香代に俺以外の好きな人ができて、そいつに香代を任せられるまで俺が香代を守る」
「ありがとう…… でも、今は千鶴が一番好き。これだけは覚えてて」
「わかった。俺も香代が一番だ」
再び強く抱きしめ合った後、二人は別れた。
その晩、香代は兄夫婦の部屋に忍び込み、隠してあった早苗の秘薬の壺を見つけ出した。
いつか見せてもらった通り、『持ち出し厳禁、猛毒』と張り紙がしてある壺。
蔵に置いてあっては危ないと、早苗は部屋のわかりづらい所に隠しておいたが、千鶴は探し出してしまった。
「義姉上。勝手な振る舞い、申し訳ありません」
一応義姉の早苗に謝り、壺の中から崩れていない綺麗な形の秘薬を三粒取り出し、ひとつをその場で口に含み、残り二つを懐紙に包んで大切に懐にしまった。
そして、後々バレないように壺を元の状態に戻し、千鶴は部屋を後にした。