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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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「その日の夜、平居さまと酒を飲んでわたしとの喧嘩の事をぼやいていたそうです。内容を聞いて、わたしは死にたくなりました…… 『美佳の笑顔を取り戻す良い物を見つけた。絶対似合う。絶対笑ってくれる』と。これが、その良い物でした……」

 の手の中にある簪だった。

「夫は酒に酔って足を滑らせ、池に落ちて死んだと役人から説明されました。でも、真実は違った」

 震える声で続けた。

「平居さまは悪くはありません。でも、あの方は罪悪感をずっと背負われて…… 夫の死因をずっと調べてくれていたんです。それでこの前やっとわかった。夫は事故死ではなく殺されたんです。伊右衛門に」

 美佳は簪を懐に大事そうにしまった。

「わたしを妻のままにしておいた夫が憎かったのでしょう。幼い助三郎を当主に据え、裏で操る為に夫を殺したのです。伊右衛門は下男に命じ、夫が大事に持っていたこの簪を盗み、池までおびき寄せ、つき落として殺したそうです」

 声は震え、顔は青ざめていたが、涙は無かった。

「冷たくなった夫は、この簪を握り締めていました…… こんな物は要らなかった。龍之助さまが居てくれれば、なにも要らなかったのに……」

 悲しい別れの話しに早苗は我慢できず、大泣きし始めた。
あまりに酷い泣き方なので、美佳は噴きだした。

「もう泣くのは止めなさい。昔は昔。今は今です」

 晴れやかな顔でそう言う姑。
早苗は頷くと涙を拭った。
 と、その目に、龍之助が写っていた。
 彼は愛に満ちた眼差しで、美佳を見つめていた。

「お義母上さま……」

 彼の存在を美佳に教えようとした矢先、彼は人差し指を口に当てた。

『美佳に今は会わない約束だ。早苗さん美佳と助三郎を頼む』

 早苗は心の中で舅に誓った。
龍之助は美佳を見つめながら消えた。

 愛する夫の訪れに気付かなかった美佳だったが、話しは全く違う所へ行っていた。
彼女は懐から小さな巾着を取りだした。

「そういえば、貴方の御義姉さまからいい物をもらいました」

「それは?」

「詳しくは同封の説明書を見なさいとおっしゃってました。夫婦の問題に効果抜群なお薬だそうですよ」

 早苗はありがたく頂戴し懐に入れた。

「でもね、懐妊するのに一番大事なのは本人の努力です。しっかりご飯を食べて、よく寝て、格之進に頼らずに助三郎を押し倒すこと。いいですね?」

 早苗は大人しく頷いた。





 美佳の忠告をよく聞き、よく食べよく寝て精神も身体も回復した早苗。
そんな彼女を見た父、兄、平居、後藤が顔を揃えて話しあっていた。

「橋野殿、どうします? 格之進は生き返らせることはできますか? それとも死亡扱いにしますか?」

 後藤がそう言うと、

「正直、どうすべきか判断が付きません。格之進は重傷だったうえ、解毒剤で存在を消しました。息子が作った新しい強力な秘薬が有るのですが、それを使って早苗が再び格之進になれるのかどうか……」

 又兵衛は頭を捻った。

「早苗殿には申し訳ないが、格之進は水戸藩になくてはならない男だ。今死なれると、江戸の仕事と大日本史編纂はどうなる?」

 平居は仕事の点からそう指摘した。
すると後藤が反論した。

「しかしだな、平居殿、早苗殿は母になりたがっている。無理やりまた半分男になって、仕事やれというのはだな……」

「それはわかっている。女の幸せも大事だが…… そうだ、橋野殿、早苗殿と格之進を分離することは出来んのですか?」

 誰かが考えていたことを彼も思いついたようだ。

「人間を二つに分けるのは…… 平太郎、どうだ?」

 又兵衛は研究熱心な息子に丸投げした。

「いろいろな秘術はございますが、今のところそのような手段はございません」

 平太郎はきっぱりと言った。

 そこで後藤は長引きそうな話にきりをつけた。

「御老公の遺言では、最終判断は早苗殿に任せる事になっている。早苗殿を呼んでくだされ」

 その場に早苗が呼ばれた。
 どうしたいか聞かれた早苗は、はっきり述べた。

「今度こそ、仕事と妻、両立させたいと思っております」

 その場に居合わせた者は彼女のその言葉に従うしかなかった。
不安がったのは身内。 
 平太郎は秘薬を持って来はしたが、早苗に思いとどまらせるように話し始めた。

「早苗、これは新しく作った秘薬だ。効くか解らないが、古い物四つ分が一つで補える強力な物になっている。お前は今まで三つしか服用したことがない。だから、効いた場合、これがどれ程の物か誰にも分からない」

 服用するたびに、能力が上がった。しかし四つは未知数。
 しかし、怖がっては居られない。

「……本当の男になったり、戻れなくなるってことは絶対にない。不妊になることも絶対にない。保障する。だが、何かわからない弊害があるかもしれん。それでもいいか?」

「構いません」

 早苗は兄から秘薬を受け取った。
平太郎は腹を括った。

「ちゃんと効いて、格之進になれたら、いろいろ調べたい。いいか?」

 彼は妹を心配する兄の顔から、研究者の顔になっていた。

「はい」

 早苗はその場で秘薬を飲み干した。

 自分の命の恩人であり、助三郎の無二の親友である格之進を呼び戻すために。