王者の資格
対峙する相手を見据えて、三郎次は忌々しいとばかりに盛大な舌打ちを零した。
それと同時に、級友特製の痺れ薬が塗られた手裏剣を打つ。それらは全て、一本の苦無によって地面に叩き伏せられたが、そこまでは想定の範囲内。しかし、足に絡まった縄?を切ろうとした瞬間、縄を引かれて体勢を崩すというのは想定していなかった。片手を地面につくと同時に思わず取り落としてしまった苦無を見て、また舌打ちが漏れる。
(畜生)
五年生との一対一演習。
相手が優秀と名高い伊賀崎孫兵ではなく、富松作兵衛だったことに手ごたえの無さを感じた半刻前の自分を叱咤したい。普段何かと癪に障る先輩に一泡を吹かせる好機だと思った四半刻の自分を詰りたい。
実技には自信があった。
演習の成績も上位だった。
大したことがない相手なら、一学年上でも負ける気はしなかった。実際に別の上級生相手に、三郎次は何度か勝ち星をもぎとったこともあった。
だから、今回も勝てるだろうとたかをくくっていた。
勝てはしなくても善戦はするだろう、苦戦なんてしないだろうと思っていた。
少なくとも、つい一年前まで殴り合いの喧嘩をすることとてあった富松を三郎次はそんな認識で捉えて、その認識は周囲の勝手な噂話でさらに劣化していた。
富松作兵衛を、実技の成績が飛び抜けている方向音痴二人に指示をするだけのお山の大将と称したのは誰だったか。
おそらくは同学年の誰かだろう。
そんないい加減なことを最初に吹聴し始めた無責任の横っ面を張り倒したくて仕方ない。真っ先に殴ってやりたいのは、そんな話を鵜呑みにしていた自分自身だが。
「降参するか?池田」
そんなことを言いながら、目の前に立つ富松が距離を詰めてくる。
無論、縄を弛ませるなんて、反撃の余地を与えるような不手際は無い。歩みと共に縄を器用に手繰り寄せ、いかにも使い慣れたという様相の縄をぴんと張らせたまま近づく。それを逆手に取ろうにも、縄を引く力は強く、反対側に動かそうとしても足はビクともしなかった。
「おれとしては、そっちの方がありがてえんだけどな」
相手の損傷箇所をできるだけ少なくしろって数馬にきつく言われるし、と。
ありがたいというわりにはいかにも面倒くさそうに話す富松は暗に、自分が負けるはずがないと言い放つ。明らかに三郎次を下に見た態度だが、それを忍者の三病と馬鹿にすることはできなかった。
最初に富松を侮ったのは、三郎次の方なのだ。
(畜生)
少し考えればわかることだった。
神崎左門と次屋三之助。五年の中でも武闘派と謳われている二人を、縄で強引に引っ張り、時には徹底的に叩きのめした状態で引きずっている男が、指示するだけの飾り物の将であるはずがないことなど。
「で?どうするよ、池田」
「っ、誰が…!」
だが、認識を改めたからといって、力量の差を思い知ったからといって、素直に降参ができるわけでもない。降伏を促す言葉に、三郎次は富松をねめつけながら声を荒げた。
「そうか」
それに、富松はさらに促しを重ねることはせず、淡々とした一言を返す。
しかしその表情は、どこか満足げなものだった。
「なら、望みどおりきっちりねじ伏せてやんよ。……その潔さに免じて、一発で楽にしてやらあ」
そう富松が言い放つのと、足に巻きついた縄を思いきり引かれるのはほぼ同時。
身構えていても抵抗が危うそうな力に、不意を突かれた三郎次が抗えるはずもなく。彼の体は、呆気なく後ろへと傾ぐ。ぐらりと揺れる視界。そこに、鮮やかな赤銅色が映り込む。
「――――」
青い空を背景にして散らばるそれに、一瞬見惚れる。
直後、腹部に叩き込まれる容赦の無い一撃、凄まじい痛みと共に、三郎次の視界は一気に暗転した。