蒼海の約束
地下でからくりの整備をしていた元親の所へ、随分と慌てた様子の部下が駆け込んでくる。
「どうした!?敵襲か?」
道具を投げ出し、代わりに碇を携えて地上へ向かう。
「敵の規模は?」
「それが…た、単騎です」
「単騎だと?ってことは…」
外へ繋がる扉を跳ね開けると、なるほど、まだ距離は離れているが確かに単騎で突っ込んでくる姿が見える。辛うじて視認できる程度だが、元親はすぐにその命知らずの正体を理解した。
見回りの兵やからくりなどには見向きもせずに駆けてくる、蒼い鎧に弦月の前立て。顔は見えないが、不遜な笑みがありありと想像できる。
「やっぱりアンタか独眼竜!野郎共、砲撃の準備だ!派手に出迎えてやりな!」
「了解しました、アニキ!」
伝令に駆けていく部下の背中を見送ってから、再び敵に目を向ける。急場凌ぎの砲撃など、おそらくかすりもしないだろう。元親は不敵に笑う。そうでなくてはいけない。何せ敵はこの西海の鬼の、幼なじみなのだから。
威勢の良い部下たちの掛け声とともに、戦場に爆音が響く。砂埃を巻き上げながら幾つもの砲弾が着弾するが、敵を捉えた気配はない。まだ敵との距離はかなりあるはずだ。だが、元親は確信していた。今は視界が遮られて確認できないが、敵はもうすぐ近くまで来ている。
「…上かっ!」
咄嗟に碇を高く構えると、硬い金属音が響いた。間一髪のところで相手を弾いて、すぐさま碇を構え直す。弾かれた敵は着地と同時に地を蹴って、六本の刀で元親に斬りかかる。その攻撃を碇で受けながら敵の表情をちらりと窺えば、先ほど思い浮かべたのと寸分違わぬ不遜な笑みを浮かべていた。
「最初っから六爪を抜いてくるとは、随分とご機嫌みたいじゃねぇか、独眼竜」
防御のために構えていた碇を、相手の攻撃に合わせて大きく振りかざし、再び弾く。着地した相手は今度はすぐには仕掛けてこず、六爪を構えたまま、ひゅうと短く口笛を吹いた。
「アンタこそ、随分と楽しそうじゃねぇか。最初のが読まれてるとは思わなかったぜ」
「アンタならそうすると思ってな。そもそもアンタ、当てるつもりはなかったんだろ?」
そう言ってにやりと笑いながら得物を振り回す。相手はたまらず後退したが、元親は構わず攻め続ける。力押しなら、圧倒的にこちらが有利だ。六爪のままでは防御はままならない。かといって、刀一本ではいつまでも元親の攻撃を防ぎ続けることは不可能だ。さて、この竜はどう打って出るか。
「相変わらずの力バカだな、西海の鬼!頭まで筋肉でできてるんじゃねぇか?」
上がった呼吸で挑発の言葉を投げかけてくる。だが、それごときで動じる元親ではない。
「そっちは相も変わらず細っこい腕で小手先の技だけ磨いてるみてぇだなぁ!竜が聞いて呆れるぜ!」
「言ってくれるじゃねぇか、姫若子のくせによぉ!」
「かっ!根暗が何をほざいてやがる!」
子供の喧嘩のような掛け合いの間にも、けして攻防が止まることはない。こんなに楽しい打ち合いは久方ぶりだと、元親は満足の笑みを浮かべた。
一際力強く碇を振るう。長い攻防に疲労していたのだろう。相手はそれを防ぎ切れず、弾かれた刀が宙に舞う。元親は躊躇なく踏み込んで、敵の喉元に碇の先端を突き付ける。同時に自分の喉元にも冷たいものを感じて、元親はそこで踏みとどまった。
「…やれやれ。これくらいにしとくか」
構えを解いて碇を肩に担ぐと、相手も元親に突き付けていた一本を納刀し、弾かれて浅く地に刺さったもう一本を引き抜いた。
「それで、何の用なんだ?いきなり一人で押し掛けてきやがって」
言いながら元親がその場に腰を下ろすと、相手もそれにならって、提げていた鞘を刀を外して腰を下ろす。相当に疲労しているはずなのだが、隻眼の横顔からはその様子は窺えない。
男は、名を伊達政宗という。宇和海に面した浜一帯を治める武将で、領地が接していることもあり、幼い頃から元親と交流を持っている。互いに元服し家を継いでからは攻めこんだり攻めこまれたりという攻防が長年に渡って続いており、どちらも引かないまま今日に至っている。とはいえ関係は比較的良好であり、時にはそれぞれに援軍や物資を融通することもあった。
元親の問いに、政宗は表情を改める。その顔はまさに国を背負う男のそれで、つられて元親も唇を引き結ぶ。
「同盟の打診に来た」
短く告げられた言葉に、元親は目を丸くする。政宗は必要以上の馴れ合いを嫌っており、こちらからの同盟の話を何度も蹴ったという経緯がある。だから元親には、政宗の方から同盟の話を持ちかけてくることが、信じがたく感じられたのだ。
「どういう風の吹き回しだ?」
「らしくねぇのは分かってる。だが…」
「ま、周辺の奴等のことを考えれば、いつまでも意地張ってるわけにはいかないよな」
政宗は苦々しげに舌打ちをする。それは元親の言が正しいからに他ならないからだろう。
伊予灘を拠点とする河野や、海を挟んで安芸を支配する毛利、さらには九州勢にまで目を配らなければならない伊達は、できることなら長曾我部と事を構えたくない。そういうことなのだろう。
「けどよ、何でうちなんだ?手を結ぶんなら、鶴の字でも毛利でもよかっただろう?」
河野はともかくとして、周辺で国力が勝るのは間違いなく毛利だ。もっとも、あの男が容易に同盟に応じるとは思えなかったが。
元親の疑問に、政宗はわざとらしく肩を竦めて見せる。
「アンタ、何も分かってねぇな」
そう言って、鞘からゆっくりと刀を抜いて、高く掲げて見せる。その顔には、先ほど元親と打ち合っていた時と同じ、まだ少年のように純粋な闘争心が満ちていた。
「竜と鬼、どちらが天下を獲るに相応しいか…小物を片付けた後に決めるのが粋ってもんだ、you see?」
それはおそらく、政宗の精一杯の強がりだろう。それを分かっていなが、元親はそ知らぬふりをして答える。
「なるほどな、アンタらしいぜ」
にやりと笑ってから、再び表情を固くした。
「同盟の件、確かに承った。難儀なこともあるだろうが、よろしく頼む」
「Thanks、元親。ところで…」
掲げていた刀を軽く振り下ろして、政宗は立ち上がる。
「同盟の祝いに、もう一戦といかねぇか?さっきのじゃ物足りねぇ」 言うや否や、元親の目の前に刀を突き付ける。ぎらついた瞳は、色好い返事だけを欲しているようだ。
「望むところだぜ!簡単にへばってくれるなよ…!」
碇で刀を跳ね退けて、元親も立ち上がる。
心躍る竜とのせめぎ合い。純粋に強さを競える僥幸を思いながら、元親は碇を大きく振り上げたのだった。
了