【サマウォ】佳主馬→健二的な
あの夏――曾祖母が亡くなりOZアバター最強を誇ったキングカズマが敗北し陣内の土地に人工衛星が落ちてきた夏――以来、佳主馬は健二とぽつぽつとした交流を続けている。夏希とどこそこへ行っただとか大学受験がどうとか、佳主馬の高校受験についても色々話を聞いてもらったし、今も数学の課題が出ればかなりの頻度で彼からの講義を受けている。普段はきょどきょどと頼りないふうの健二だが、数学に関しては非常に饒舌だ。
何かに取り憑かれたように数の神秘を語っているときの彼は、きっとOZ世界でキングカズマを操り対戦相手に向かう佳主馬と同じなのだろう。そういう瞬間の健二の目が熱っぽくきらきらするのが、昔から佳主馬は好きだった。
だがきっと今、その目には翳りが落ちている。
ソファーで寝入ってしまった妹を抱き上げ寝室に下がろうとしている母に目だけでおやすみを言い、佳主馬は握ったままだったシャープペンシルを課題プリントの上にころりと落とす。返事の前に傍らのペットボトルに口をつけると、さっきまで痛いほど冷たかったはずのスポーツドリンクが、暖房に温められてさっそくぬるくなっていた。
「夏希姉、呼べばいいじゃない」
『佳主馬くんはこういうときちょっと意地悪になるよね……』
佳主馬が高校に入学した夏、健二と夏希はそれまで続けていたままごとめいた交際にふたりなりのけじめをつけた。
一族に祝われて始まったことだからと別れたことまで陣内一族の前で公表したふたりが、冗談のようにすっきりした顔をしていたものだから親族としては彼らにかける言葉などなにもなく、そうかわかったでその場も終わったのだった。
ただ最後に翔太が健二へぼそりと、来年から来ないとかぬかしたら逮捕すっぞと低く呟いて、夏希がそれに大きく頷くのと同時に佳主馬を含めた一族全員も首肯して、そのとき健二は少しだけ泣いた。
夏希と健二の間に何があったのかは知らないが、その後もふたりは変わらず連絡を取りあっていたようで、彼女が侘助にくっついて渡米するのだという情報を陣内一族へふれたのは他でもない健二であったりする。
もちろん夏希の身は現在、海を越えたアメリカにあるし、それでなくとも女性を自宅へ招く甲斐性が健二にあろうはずもない。大学生になろうが成人しようが、健二は健二だった。
「佐久間さんは？」
『……合コン』
「それはゴシュウショウサマ。それで佐久間さんの次が僕ってわけか」
『ち、違うよ！ そうじゃなくて！』
思わず皮肉っぽく笑う唇など知るはずもないのに、慌てる健二の声が少し高くなる。
『あのね佳主馬くん、気を悪くさせるつもりじゃなくて、』
ふ、と堪えきれない笑みがこぼれて肩が揺れる。
「わかってるよ、そんなの気にしてない。ありがとう連絡してくれて」
『……佳主馬くんと話すとね』
健二の声は優しい。昔よりもほんの少しだけ、佳主馬ほどの変化ではないけれどやわらかく低くなった声はよく耳に馴染んだ。
寂しいと嘆くときにすらその音はやわらかだった。
「うん」
『佳主馬くんに話を聞いてもらうと、僕は凄く落ち着ける。上田のお家で皆さんと過ごしてた時間に戻れたみたいで、あの夏がすぐ側にあるみたいで嬉しいんだ』
家族をよく知らないのだと、いつか健二は言っていた。だから陣内家の賑やかさがとても好ましいと言っていたのは、いつだったろうか。陣内の年長者にからかわれ、年少組にはいいおもちゃとして絡まれてぐったりしながら、上田で見る健二はいつも嬉しそうにしていた。
『いけないね、もういい歳なのにこんなことばっかり言って。ごめん、気にしないで』
「……健二さん」
『何？』
きっと首を傾げている。
テーブルのプリントを隅に寄せ、佳主馬はちらりとテレビ脇の時計を見上げた。まだ21時を少し回ったばかりだ。
「きっと疲れてるんだよ。数学もいいけど、少しのんびりしてみたら？」
そうだねえ、と苦笑がちな声が佳主馬の提案に同意しかけている。
『せっかく週末だし、そうしようかな。……予定もないし……』
「そうしなよ。……絶対数学書なんか読まないでよ。読んでたら怒るからね」
『怖いなあ、なんだか佳主馬くんが監視に来るみたいだ』
「そうだよ。見張りに行くよ」
健二の笑声は明るかった。
服を着替えて、羽織ったジャケットに財布と携帯電話を押しこむ。制服のポケットから取り出した音楽プレイヤーを握りしめ、ヘッドホンを首に引っかける。
「母さん」
ふかふかの毛布にくるまれて眠る妹の横で、聖美がゆっくりとその腹のあたりを叩いている。薄暗い室内から明るい廊下に立つ佳主馬を見上げ、母は眩しそうに目を細めた。
「なあに、あんたどっか行くの？ コンビニ？」
「ちょっと東京行ってくる。日曜の夜には帰ってくるから」
「……東京？」
今にも駅へ走り出してしまいそうな佳主馬に、聖美は娘の傍らを離れ廊下に出てきた。腕を組み、息子を見上げ、こっくりと首を傾げる。
「健二さんとこ」
「小磯くん？ ……ふぅーん」
途端に嫌な感じの半眼でにやにやする母は少し苦手だ。中学生の頃からずっと、あまり他人に寄らない佳主馬が健二にだけはあっさり懐いたと周囲に言いふらしてきた聖美だ。
「小磯くんは、いいって言ってくれてるのね？」
「うん」
ぺろりと嘘をつく。驚かせるための上京なのに、当の本人に了解をとるような真似ができるものか。
佳主馬の変わらない無表情をじろりと見、どう思ったものか聖美は肩を竦めてからにやっとした。
「……行ってくれば？ くれぐれもご迷惑はかけないようになさいよ」
「わかった」
「小磯くんによろしくね。……にしてもあんたも、朝まで待てないなんて子どもねえ！」
ばし、と息子の背を叩くと母は清々しくすらある笑顔を残して妹の待つ寝室へ戻っていった。笑顔に曾祖母の何もかも見透かすようなあの面影がよぎっていた気がして、佳主馬は無意識に背筋を伸ばす。冷や汗には気づかないふりをした。
母に気づかれてはたまらない。何せ佳主馬自身がまだこの感情をどう扱えばいいのか持て余している状況なのだ。歳の離れた友人が寂しいと呟いたから名古屋から東京まで行ってくる、この行動力の源泉がよく把握できていない。
それに、この感情に色をつけたとして、やはりそれを一番に見せるのは母よりも健二がいい。……いつになるかはわからないけれど。
「行ってきます」
履き慣れたスニーカーに爪先をつっこんで、聞こえるわけがないと思いながら母と妹に声をかける。
ドアを開けた僅かな隙間からも吹きこむ寒風に首を竦めて踏み出した一歩から地を蹴り、佳主馬はそのまま駅へ向かって軽やかに走り出した。
作品名：【サマウォ】佳主馬→健二的な 作家名：yama