ウォーター・シュート(#15)
「何、やってんだ……千石」
「おー地味ーズ!それから室町くんも!良く来たねー」
あ、喜多ソレいっちゃって。と千石が指をびしりと向けるその先には、半分に割られた竹筒と、ホースを抱える新渡米の姿がある。はーいと間延びした声を返して頬のなるとが印象的な後輩が、これも竹で編まれた古風なざるから、白い物体……素麺を流した。
「東方、そっちいったからよろしく!」
「は?え、わ」
東方は咄嗟に足元のプラスチックのおわんを抱え上げ、素麺を摘もうとするが一瞬遅く、涼しげな白い麺は水流に乗って、ゴール地点であるバケツに吸い込まれていった。笑い声が上がる。うなだれた相棒に同情的な一瞥を投げかけてから、南は千石に問いただした。
「千石。教えてくれ、なぜここで流しそーめんをやっている」
「なんかさー、焼肉食おうって話してたじゃん?んで、着いたらもう満席って言われてがっかりしてたらさ、変な帽子かぶったおっさんがならこれでも、って出してきてくれて」
大阪まで持って帰るの荷物になるしめんどいって。だから、折角だし責任持って廃棄しますと言ってもらったんだよねーなどと笑う千石の向こうで、「肉々苑」の看板がライトアップされた。夕陽が、店の後ろに輝いている。鮮やかに美しい夕焼けに不吉なものを感じ、そっと南は目を逸らした。
「いいのか。許可は取ったのか」
「いーんじゃないかな?先にやってたみたいだし。それより室町くん、頼んでたもの、そこの皿に乗せてっちゃってー」
「はあ……千石さんホント人使い荒いんだから」
もはや諌めることを諦めた室町がもくもくとスーパーのレジ袋から具を取り出していく。真新しい麺つゆの容器の横に、メンマ、ワカメ、梅干、ふりかけ、チャーシュー、鰹節、大葉、胡麻、刻み海苔に紅生姜と色とりどりの食材が並んだ。野菜が足りないな、と錦織が呟き、そうだな、と南ももはや自棄になりながら答えた。割り箸を掴んで駐車場の縁石に座り込み、先程東方が取り損ねた素麺を掬い上げて容器に入れる。ちょうどサルスベリの木影になっており、一息つくにはいいポイントだった。
「ん、結構冷えてるな」
見ればバケツの中には氷が浮かんでいる。まだ形も残っている氷塊をつついて遊ぶ。プラスチックのバケツはきれいな薄青の底だ。側面には値札の跡が残っている。金魚を放せばさぞ映えるだろう。
「まったく、唐突で困る」
そう言って立ち直った東方が、「代わるよ」とホースを新渡米から笑顔で受け取っている。順応性が高いよな、皆。と南は思い、それから首を傾げた。
「千石、壇は?」
「檀くんは特別任務中」
「なるほど、亜久津呼びに行ってんのか」
過たず南は事情を察した。青学の試合で亜久津の姿を見かけたが、席が離れすぎていたため、声をかけられなかったのだ。試合が終われば既に亜久津は会場を立ち去った後で、彼を慕う後輩の肩を落とした姿が可哀想だった。
「亜久津、来てたなら声かけてくれればいいのにねー」
千石が屈託なく笑い、南の横に腰を落ち着けた。麺つゆをペットボトルの水で薄め、紅生姜とふりかけをトッピングした素麺を啜っている姿で、南の食欲も誘われた。
「うーん、まあ、お前とか壇はいいかもだけど。困る奴らもいるかな」
「俺ら、負けちゃったしね。馬鹿にされそう」
「お前は勝っただろ」
「まーね」
エースですから。笑う千石にお疲れ、と言って南は手を伸ばす。髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜると千石が噎せた。
「ちょっと南、食べてんだから邪魔すんなよな」
「お前はエースだよ」
「やだもう南ったら!惚れちゃいそう!」
嘘付け、と言って笑い合っていると、「亜久津だ」と呟く東方の声が聞こえた。弾かれたように顔を上げた千石に少し遅れて、南もその方向を見る。
淡く空色から朱鷺色に変わりゆく残照と晩霞の風景の中を、小柄な壇が走ってくる。その後ろにゆったりとした歩調で続く、長身と浮き上がる白い髪形。ああ、亜久津だ、と感慨深く南はその姿を目で追いかけた。
「南、これあげるよ」
千石が椀を下に置き、立ち上がった。亜久津にどんな言葉をかけるのか気になったが、南は後を追わなかった。ホースを錦織に渡した東方が、自分の分の素麺を取り分けて、入れ替わるように隣に座る。
「これで、伴田先生以外は全員集合かな」
「そうだな」
「さっき、電話したんだけど、先生は今、青学の竜崎先生たちと一緒に飲みに行ってるらしい」
「伴爺、アルコールだめじゃなかったっけ?明日、検査なんだろ」
「うん、飲まないってさ。途中で抜けて帰るって言ってた。あと、来週月曜まで部活は休み」
「そっか。連絡回しとく」
「よろしく。室町には伝えたよ」
南は日に焼けすぎた後輩の姿を探した。水の補充に行こうとしているのか、ペットボトルを小脇に抱えている。淡々としていて、基本的には個人主義なのだが、よく気のつく後輩だ。
「そろそろ引継ぎやってもいいけど、なんだかんだで、二学期になっちゃうかな」
「夏休み終わるまではいいだろ。一学期はいろいろあったから」
「ほんといろいろあったからな」
「亜久津とか」
「亜久津とかな」
最後は声が同時になった。聞こえたのか亜久津がぎろりとこちらを見つめ、おろおろとする壇に袖を引かれている。千石が亜久津のそばを素早く離れて素麺を流し、亜久津そっち!と叫んだ。反応早く割り箸を掴み取りキャッチするのは流石と言うべきか。因縁をつけられないのは幸い、というよりは千石の機転だろう。南に向かい貸しひとつ、と言わんばかりにウインクを送ってくる。仕方ないなと苦笑した。
「東方ー、ライター持ってたら貸して!」
新渡米が片手に花火のパッケージを抱えてやってきた。おいおい、と東方が首を振る。
「持ってないよ。亜久津ならあるだろ」
「げ。んじゃ、千石だな」
去っていく新渡米の頭の葉が心なし萎れたように見える。笑いながら東方が呟いた。
「千石はほんとに、亜久津の扱い上手いよな」
「怒らせないぎりぎりのラインを心得てるよな。随分助かったよ」
「はらはらさせやがるんだけどな。南部長が殴られなくて良かった」
「千石じゃなくて俺かよ」
そんなことを話す間にも、千石が余裕の笑みで亜久津に話しかけ、あっと言う間にライターを受け取っている。見習いたいけど、あれはなかなかできるもんじゃないよな、と内心、南は思った。顧問の伴田も、そういうところは上手い。
炭酸水の吹き上がるような音がして、見れば少し離れたところで煙と火花が上がっていた。後輩たちが花火を始めている。地平線上で朱金にたなびく雲から群青へと変わる空を背景に、煙と火花と笑い声がさんざめく。白い制服はとても鮮やかで、見る分にはいいな、と南は目を細めた。
「夏が終わるな」
ぽつりと東方が呟いた。心地よい強さで夏の風が吹き抜けていく。アスファルトを割ったエノコログサが頷く様に揺れる。亜久津の背よりやや高いヒマワリは、東方と同じくらいだろうか。少し頭を垂れている。
「そうだな」
同意して、南は静かに瞬きをひとつした。
作品名:ウォーター・シュート(#15) 作家名:1001