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リバー

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あ、とスペインが思った瞬間、パアンッという音が耳に届く。
そして、ほんの瞬きをしていた隙にコンクリートの床には白濁が広がっていた。

「何しとん?」

情事のあともすっかり消え去って、きっちり隙なく制服を着こなす彼に尋ねる。
それは、余りに突然且つ不可解な行動だった。
コンクリートの上に弾け、ぶちまけられた精液が生々しく、太陽に光っている。
コンドームのゴムは破裂し、見るも無残な姿に変わり果てていた。

「いや、なんかさ。アホくさくなって」

何だそれ、とアントーニョはアーサーの言葉を聞いて笑った。

「けどさ、コレ、どう後始末するん」
「後始末もなにも……だれもこんな屋上になんて来ねえよ。それに明日は雨らしいし」

ああ、そういえば。そう納得した。
アーサーとこんな風に付き合うとも言いがたい、かといって体だけとも言えない関係を持つようになって、屋上に立ち入るのがすっかり当たり前になってしまっていた。
以前では屋上というものの存在すら知らなかったのにな、と思い出す。
屋上へは、旧校舎の古びた階段を通って来なければないのだが、その階段というものすらまず、今まで見落としていた。

「あー、なんか。どこか遠くに行きてえ」

そうアーサーが漏らした独り言に、アントーニョも頷く。
けれど、「どこか」という指示語を具体的に言うことはできない。
でもとりあえず、「どこか遠く」に言ってみたい、という漠然とした願望は強く、しかし偶に弱く、時折心に現れた。

「なんか、難しいよなあ」

アントーニョが呟く。難しい、という主語は色んなものに対してで、一概にこれといったものはなかった。
感傷とも言えるような感情がふつふつ、沸いてきだす。
誤魔化すように学生鞄を探り、ギルベルトから借りたエロ本を取り出してパラパラ、ページをめくってみたものの、どうにも退屈だった。
別に毎日が嫌いな訳ではない。ただ、何かが足りない、満たされないのだと思う。
勝手なわがままということなんか、重々承知だ。

「大人になったら、二人で澄まして洒落た店に入ったり、もっと良いところでヤれたり、それから色んな遠いところに行ったり……そんな風になれるんやろか」

余りに純粋な疑問だった。
地面に座り込むアントーニョが、隣で立っているアーサーを見上げた。
午後二時の、ちょうど太陽が高くあがって眩い光が、金髪に覆いかぶさって輝く。
長い睫毛が伏せられ、眉と眉の間に皺が寄る。憂うような表情だった。
きれい、という形容詞が頭の中に浮かんだ。
アーサーのこの、何か思いつめたような、憂いを帯びた表情にいつもドキリとする。
形の良い唇が開かれ、何を言うのだろうとアントーニョは期待した。

「……おい、そのエロ本お前の?良いな、ちょっと貸してくれよ」

至極、真面目な顔で床に広げられた安っぽい雑誌を指差し、アーサーが言う。
ぶち壊しだ!と、アントーニョは叫んだ。
しかし当の本人は全くお構いなしに、雑誌を拾い上げて「借りるぞー」と、飄々としながら一言告げると丸めて尻のポケットに突っ込んだ。
そして鍵を片手、歩き始める。

「そろそろ帰っぞ」
「えー。もうちょっと、ここにいたいやん」
「お前、明日もテストだろ。バカは大人しく早く帰って、悪あがきでもしてろ」

そういえば、今日から四日の間、テスト期間だったのだ。
しまった、と思った。今回こそ、一教科でも落とすと留年ということになりかねない。
何しろ、アーサーと違って勉強というものがさっぱりなのだ。

「ちょ、待ってーなー」

そそくさ帰ろうとするアーサーの後ろを、あわてて学生鞄を背負いあげて追いかける。
ちら、と先ほどのコンドームと精液の残骸が目にちらついた。
けれどそんなものを気にして止まっていたら、彼はひとりでこちらのことなんか気にせず、施錠して一人で帰ってしまう。
ブレザーの後姿を目掛け、走る。擦り切れたスニーカーは足に慣れていた。
追いつき、アーサーの隣を歩きながら再び、汚れたコンクリートの床を思い出した。
明日、雨が降って全部洗い流されて。いつのまにか、分解と蒸発をした後、忘れてしまうのだろう。
なんて簡単な循環だろう。そう思った。
作品名:リバー 作家名:はらた