さよならを告げる音
それは、カンテレと呼ばれる弦楽器だった。白樺の木をくりぬき、表面に5本の弦を張った簡素な楽器だ。
初めてフリオニールがその腕前を披露してくれたとき、ティナは少し意外に思ったものだ。
旅慣れたフリオニールは、余分な荷物を持つことはない。だというのに、カンテレをつま弾くフリオニールの姿は慣れたものだった。目を丸くするティナに、旅の慰めとして持ち歩いているのだとフリオニールは教えてくれた。
独学だから下手だけれど、と謙遜した、フリオニールのはにかむような笑顔を、今でもティナはくっきりと覚えている。
武器を扱うことに長けた手が、やさしく弦をはじくと、外見の素朴さにそぐわない、素直で澄んだ音が響き渡る。
遠くを見るように少し細められたフリオニールのまなざしが。たやすく自分を翻弄する、フリオニールの指が、カンテレをつま弾くところも。空気に混じるようにゆるゆると奏でられる音色も。
何もかもが、好きだった。
……だというのに。
真っ白なシーツにぽかりと空いた空間。そこに、カンテレが横たえられていた。自分の隣、いつもならフリオニールがいる、その場所に。
そろり伸ばした指先に、敷布は何のぬくもりも返してくれない。それは、フリオニールがこの場から去ってかなりの時間が経っていることを、明確に示していた。
身代わりのように、楽器ひとつを置き去りにして、彼は行ってしまったのだ。
「……ひどいわ……」
フリオニールがここ数日、何か考え込んでいることには気づいていた。それが何かはわからないけれども、きっとフリオニールにとってはとても大事なことなのだろう。考えて考えて……結論を出す時が来たなら、きっと教えてくれると思っていた。
まさか、こんな風に置いて行かれるとは夢にも思わなかったのだ。
「さよならも、言わせてもらえないなんて……」
誠実な人だから、きっと何か理由はあるのだろう。それでも、できればきちんと別れを告げて欲しかった。できることならば、自分もつれていってほしかった。
自分と同じ、置いていかれてしまったカンテレを、手に取る。彼がしていたように爪弾くと、てぃん、と濡れたような音が響く。
「本当に、ひどい人……」
泣き笑いのような表情で、ティナはもう一度だけ弦をはじく。てぃん、と響いた音色は、ティナの頬を伝わり落ちる滴と同じ音色だった。