遊撃手の告白
毎日のランニングでいつも通っている道なのに、冬と夏ではまるで見える景色が違う。うっそうとしげった雑草は、夏の方が好きみたいだ。寝転がったら気持ちいいかな、なんて、我ながら乙女な考えが浮かんで少し笑える。
日向のにおいがする。コンクリートを焦がして、太陽は西を目指す。今日も暑い日になるだろう。
・・・・帽子忘れてランニングしたって言ったら、豪のやつ怒るだろうな。
汗でTシャツが張り付く。ふと空を仰ぐと、水彩絵の具でも流したような空に飛行機雲が一筋見える。低空飛行の機体が、きらりと太陽を反射した。
遠くから自転車が近づいてくる音がする。タイヤが道路と擦れ合う音が段々と近づいてくる。こんな時間にサイクリングだろうか。
自分を呼ぶ声に、はっと振り返る。そこには、この気温に似合わないほど爽やかに笑う、先輩がいた。
「・・・・海音寺さん」
自転車のかごにビニール袋がひとつ。ブレーキを握るのと同時に、ごとんと跳ねる。その白くて薄い人口素材は、は風になびいてちりちりと音を立てる。海音寺は巧の視線に気づき、自らの自転車のかごに視線を移した。
そして中からペットボトルをひとつ取り出し、巧に差し出す。日に焼けた肌とスポーツドリンクが板についている。
「たまたまコンビニ行ってな。喉渇くじゃろ、飲むか?」
断ろうかと思った。世話を焼かれるのは好きじゃない。でも、その人好きのする笑顔に、思わず手を伸ばしてしまった。
「・・・・ありがとうございます」
冷たい。汗をかいたボトルの冷たさが、熱された体に心地よい。一口含んで、自分が思っていたよりも喉が渇いていたことを知る。喉を流れた冷たさは、胃に落ちる前にすっと消える。汗が流れる。
口を離して海音寺を見ると、彼はじっと巧を見ていた。黒い髪が、額に張り付いている。
「・・・・」
海音寺は巧の沈黙のせいか、口を開き何かを言いかけた。
「海音寺さんも、どうぞ」
口元を肩で拭いボトルを差し出す。海音寺は受け取ろうとしない。
「いや、俺は――」
「汗、かいてますよ」
海音寺は、困ったように笑いボトルを受け取った。そして、一瞬ためらった後、半分ほど残っていた中身を一気に飲み干す。上下する喉を、巧は見るともなく見ていた。
・・・・きれいだな。
特別どこがどうという訳ではないが、この人はきれいだと思う。見た目だけじゃない。きっと心もきれいなんだろう。
コンビニの帰りに見かけた後輩にわざわざ立ち止まってペットボトルを差し出すなど、俺なら、面倒くさい。
東谷の気持ちが少しだけ分かる気がした。
息をつく音が聞こえる。空になったペットボトルを自転車のかごに放る。もう一度、深く息をはく。それはただの息継ぎではなく、大きなため息に聞こえた。
口元を拭う海音寺の目は、巧の遥か後方を見ている。
「・・・・きれいじゃな」
海音寺は、巧と目を合わせない。
何を見ているのだろう。巧は海音寺の視線を追い後ろを振り返る。その先にあるのは、うんざりするくらい晴れ渡った空と、もうぼやけて消えかかっている飛行機雲だった。
「夏の空もきれいじゃが。でも、原田もきれいじゃ」
「・・・・はぁ?」
海音寺は、巧の目を見て、力なく笑った。
この人、こういう顔もするんだ。
巧は口の端を上げる。嘲笑的に笑った巧に、海音寺はふと驚いたような顔を見せた。
「それは、告白ですか」
目線も立場も下だが、巧の海音寺を射る視線は挑戦的だった。
海音寺が渇いた笑い声を漏らす。そして、額の汗をぐいと拭った。
「ははっ・・・・どうじゃろうな」
錆びたチェーンが逆向きに回る。ペダルに足をかける。
「じゃあまた、練習でな」
海音寺の自転車が滑るように走り出した。練習には帽子忘れるなよと言うのは、もういつもの人好きのする笑顔だった。
巧は軽く頭を下げ、ランニングを再開する。
もう空からは、飛行機も飛行機雲も消えている。
今日も暑い日になる。巧は熱された頭を振り、次からは帽子を忘れないようにしようと思った。