フィルド・ナイト
「トラも読むか?」
「いいのか?」
手紙は、ウサからだった。ラボに戻ってから暫くして、ウサはSSの仕事に就くのだとバーナビーから知らされた。作られた用途が護衛用なのだから、適材適所と言える。
「……」
文面には、敬語が理解出来ない、愛想笑いとか無理、接待が面倒、などの愚痴が、字を習いたての子供の様な字で綴られていて、この手紙も字の訓練だから返事はいらない、と締めくくられていた。護身のプログラム以外に人間らしい教養が求められるようだ。ただ“守る”だけではいけないらしい。
「頑張ってんなぁ、あいつ」
そう虎徹は苦笑して、それにしてもと手紙を透かすように翳した。
「あいつがこんなに字がヘタだったとは…もしかしてトラも字書いたらこんな感じになんの?」
「あぁ、これより酷い」
文書は専用ソフトで作成してプリンターに繋げば出力出来るから、文字を “書く”事は学習しなければ難しいのだと説明すると、意外そうな相槌をうたれた。
「んじゃ、トラも練習してみるか?」
「私の業務上で役立つとは思えないが」
「そんなんわっかんねーだろ? それに、返事はいらないって言われると…」
「っ?」
突然虎徹に寄りかかられて、一瞬視界が暗転する。
「うぉぉって、トラ、どうしたっ?」
瞬くと視界は元に戻ったが、寄り掛かってきた虎徹と一緒にソファに寝そべっていた。覚えのある倦怠感に、あらかじめ予測していた充電量はどうやら十分で無かったようだと理解する。
「大丈夫か、トラ」
トラに伸しかかる格好になった虎徹が心配そうに覗きこんできていた。手のひらを握って開いて、まだ動く事を確認する。バーナビーは今夜、出張で不在だ。明日まではなんとか持たせなければならない。
「……問題無い」
「いや、あるだろ。いきなり倒れやがって」
ぺしりと頬を優しく叩いてくる虎徹は、静かに怒っているようだ。俺もいきなり悪かったけどさ、と語尾が弱々しくなる虎徹に、トラは首を振って素直に原因を話す。
「充電切れか…今日はバニー帰ってこねーしなぁ…」
トラの上の虎徹が、思案顔で腕を組む。その間に、トラは明日までの消費量を再計算すると、今夜はいつものタイマーより早くスリープモードに移行しなければならない結論が導き出された。
「コテツ、今夜は…」
「俺が充電してやる」
「……え?」
「一応、バニーから教わってたんだ」
に、と不敵に笑った虎徹は、懐から手帳を取り出した。
速攻でシャワー浴びてくるから着替えて部屋で待ってろよ、と虎徹に言われた通りトラが寝間着に着替えてベッドに腰掛けていると、おまたせ、とやって来た虎徹は充電用の機器が入ったボックスを手にしていた。どうしてか、枕を小脇に抱えている。
「コテツ、本当にするのか?」
「おう。ほら、横になれって」
軽く肩を押されて言われた通りベッドに寝転がって横を向くと、手順をメモしたという手帳を片手に機器をいじる虎徹の姿が視界に入った。少しの不安も無いと言えば嘘になるが、そう難しくは無いはずだ。それより早く、電源を落として欲しい。怖いという感情を一度覚えたらその感覚は簡単に拭う事はできず、充電の度に“怖い”という感情が付きまとっていた。
「コテツ…」
催促の意味も込めて虎徹のパジャマの裾を引っ張ると、何故かそっと頭を撫でられる。通じなかったのだと解っても触れられる気持ちよさには敵わず、トラは大人しく虎徹にされるがままになった。虎徹が笑う気配がした。
「なぁ、今日は電源落とさないでやってみるか。前に、怖いって言ってたろ?」
「あ…」
それはいつかのトラの我儘だった。ふと湧いた感情を口にしたら、バーナビーと虎徹の二人はとても驚いた顔をしていのを記憶している。そんな些細な事を覚えていてくれたことが嬉しくて、つい承諾しかけたトラだったが寸前で頭に触れていた虎徹の腕を取った。
「確かに言ったが、それは非効率だ」
起動したまま充電する事は時間が掛かる上、起動しているのに動けなくなるのだ。そうなるといつもの業務がこなせず、虎徹の役に立てなくなってしまう。
「だっ! またそれか! いーだろ、今日ぐらい」
「待て、コテツ…っ」
トラの首筋に伸びる虎徹の手を阻止しようと掴んだ手には力が入らなかった。充電の残りが少ないと、どうしても動作が緩慢になる。こじあけられたそこに、入れるぞ、と一応の確認を取られたけれど返事をする間もなくコードが挿入されて、差し込まれる感覚に反射で身体がびくりと揺れた。
「…っ」
「痛くないか?」
「問題、無い。が、コテツ、電源は落として…」
「バニーには内緒にしておくから」
人差し指を口元に当てて、何故か楽しそうに笑う虎徹を見たらそれ以上言い募る事は出来なくて、トラは分かったと頷いた。
「それじゃ、始めるぞー」
そう虎徹が言い終えた直後、徐々に甘い痺れが身体中を巡る。
「…っぁ?」
今まで感じた事が無い感覚に意図せず息が漏れて、トラは訳が分からず口元を手で塞いだ。目まぐるしく押し寄せる感覚はどうやら制御出来る物では無いらしい。身体を丸めてやり過ごしていたら、眉尻を下げた虎徹が覗きこんで来た。
「トラ、大丈夫か? 気持ち悪いとか無い?」
「…ん」
満ち足りていく、この感覚を表現するなら。
「きもち、いい…?」
やっとの事で絞り出した声は掠れていた。一瞬目を丸くした虎徹の顔が、時間差で赤くなる。
「コテツ?」
「なんでもねぇよ…」
そう言って視線を逸らした虎徹は、部屋の明かりを消すとベッドに戻って来た。持参してきた枕をトラの隣に押し込んで、虎徹はごろりと寝転がる。戻らないのか、と尋ねたら、なんかあった時困るだろと返しながら上掛けの布団を引き寄せて、今日は一緒に寝ようぜ、と枕に半分顔を埋めた虎徹は照れたように笑った。バーナビーがいない時、虎徹はトラの傍にいたがる傾向にある。それは人恋しいからだと理解していても、偽りの感情は舞い上がって。動けない事を言い訳に、トラは虎徹が掛けてくれる布団に一緒にくるまった。