hate you!
「……来んじゃねぇ」
自分の歩んだ年月の半分程しか生きていないというのに主が吼えるように発した言葉は威厳があり、紡ごうとしていた言葉を詰まらせるしかなかった。振り向いた相貌は右目には眼帯をこしらえて、その周りはうっすら腫れたような赤みを孕んでいた。
今使えている政宗の前に従事していた輝宗殿は聡明な方であり、慕っていたので息子のに使えてくれと言われた時も喜んでと言った記憶はある。しかしながら家督を譲ろうと考えていると聴いた直後であったので俺の中では小次郎様の目付役だと思っていたのだ。
けれど目の前にいるのは小次郎様の兄にあたる梵天丸その人であり、病を煩った所為で隻眼になった長子なのだ。直属されて暫くは立つが気を許して貰えないのだろう話しかける度、近付く度に小動物のように小柄な八重歯を剥き出しにして威嚇するように隻眼で睨め付けられた。
正直、輝宗殿の直属の命令でなければ放棄してやりたいような仕事であった。年端の行っていない童子のお守りなど戦場で駆け巡る事を生業としてきた俺には向かないのである。
「朝餉の支度が出来ているとの事です。早く準備をば」
「いらねぇよ、そんなもん。……小十郎、お前だけ食ってこい」
「いや。それはこの小十郎めがお許し致しません」
細められ拒絶するようにこちらを見てくる瞳を見返してやれば視線を切った梵天丸は開け放たれた襖から空を眺めつつため息を吐いていた。こちらの方がため息を付きたいに決まってるといった旨を伝えたくて喉元までせり上がってくるものの唾液と共に腹へと飲み下した。
「俺が食っても食わずしても関係ないだろ」
「なりません。どうしても食べないのなら小十郎が持ってきます」
「……勝手にしろ」
主従となってから幾日がたとうと部屋から必要最小限しか出たがらず食事さえままならない現状だ、俺が使える前はどうしてたかと侍女に問うて見たが部屋の外に置いたらいつの間にやら量が減って置かれていたとしか語ってはくれず。部屋に入れさせただけでも珍しいと切り替えされればそれ以上にはなにも言えなかった。
「御意に」
そう言って立ち去れば未だに外を眺め続ける梵天丸様が見えた。残された左目はどれほどに曖昧な世界を打ちしだしているのだろう。一度隻眼とはどのようなものか試しに自分が眼帯をしてみたものの、戦に支障がでる所か普通の生活がむつかしいのも遠近感がてんで掴めないのも知っていたので、紙っぺらのように世界なのだろうかと一人考えあぐねていれば襖の外から侍女が食事を運んできていた。
「片倉様ではありませぬか」
「あぁ……朝餉を二人分失敬してもよろしいですか?」
「勿論。ところで梵天丸様のご様子は?」
成人してはいないであろうこの少女は毎度の食事を運んできてくれた。酷く純真な目をした人であった。
梵天丸様の母君にあたる義姫様が疱瘡かかった姿を見て自分の子は小次郎だけだと一時鬱ぎ込んでしまったという話は有名であるし、それに倣うように小次郎様が国を継ぐと考えていたのだ。それ故に家臣は小次郎様ばかり優遇してしまっているとも聞いたことがあるのに、彼女はずっと梵天丸様への対応を変えていないという。
「それが相変わらず外に出たがらなくて……俺にはてんで良策が思い付きません」
「私めが言う台詞ではございませぬが、あの目さえよくなれば出ていらっしゃると思うのですが」
「それは常々思ってます。けれどどうしたらよいか……」
「片倉様でしたら大丈夫であるかと思います。私めは用事がありますので召し上がられたら器は外に置いて下さいまし」
「わかりました」
深々と頭を下げればとんでもない、と言うようにあたふためいてから下がっていった。
━━目さえよくなれば、か。
もう分かり切っていた返答だし自身も考えていた事だが、どうしたらよいのか解らずに部屋に戻れば何か隠すように袂へと滑り込ます様が見えた。
「なにをしておいでか、梵天丸様」
「丁度よかった小十郎。俺の介錯をしてはくれないか」
「……なにを仰っておられるのか!」
この御仁は冗談がきついというタイプではないのだから小太刀を手に称えているのは本気で切腹して死のうとしていたのだろう。主従の枷などないように声を荒げて怒鳴りたくなる、切腹して命を散らしていいのは負け戦の時だけだと。
「俺がいても、意味ねぇじゃねぇか。どうせ家督は小次郎が継ぐに決まってる」
「……わかりました。では、今から小十郎がする事に耐えられたら介錯を致します」
「あぁ、やってみやがれ」
不遜な目をこちらに向ければ頷いたのを確認すれば、失礼と上べっつらだけの謝辞を述べ身体を抱き上げて膝の上に置き首を絞めるように固定した。
「なに、するんだ小十郎!」
「さっき頷かれたでしょう? 動かないで下さい、不必要な傷をつけたくないので」
右目を覆っていた眼帯を力任せに外した後に先程梵天丸様が持っていた小太刀を掴んで疱瘡で腫れた右目の周りを緩く走らせる。
「おい、冗談だろ……?」
「小十郎は主に嘘を吐くほど不届き者ではありませぬ」
ぐ、と力を込めて元々零れ落ちそうな右目に突き刺して円を描いて抉り取った。眼球が床に鈍い音をたてて落ちて、同時に眼窩からは涙のように血が落ちていく。梵天丸様の口は開き叫びにも等しい叫びと反対の左目からは涙が落ちた。忠義を尽くすといった直後に起こしている一連の動作は主に反旗を翻すような行為。目をどうにかする為とはいえ刃を向けたのだから。
「う、ぁ。あ゛あ゛あ゛っ。……っくぅ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫な訳ねーだろ」
せき込みながら毒づく主を見て安堵するように笑みを零せば梵天丸様は亡くなった瞳の場所を押さえるようにしながら口角を無理矢理あげた挑戦的な笑みを浮かべた。
「……hate you」
「小十郎にはなにを言われているかわかりませぬ」
「Ha! 別に構いやしねぇよ」
血みどろになった指などてんで気にしないように眼帯を付け直してから梵天丸様は俺に向けているのか独り言かはわからない呟きはじめた。
「この異国語は将来絶対使う時が来るに決まってる。お前も覚えておけ、小十郎」
窓のすぐ横に置かれた机の上に鎮座した分厚い洋書を指さした後、赤く汚れた手を俺の着物になすりつけながら悪戯っ子のように笑った。
「? なにをしておいでか」
「小十郎……これはお前が犯した罪に対する罰だ」
眼球を抉るなんて暴挙をしたのだから、と言われれば苦笑しか思い浮かずにいれば指を目潰しの要領で指圧された。別段それだけで眼球が落ちこぼれるわけでもないので大人しくしていれば、詰まらなそうに離してからそっぽを向かれた。
「また、俺に牙を向けたら今度はお前の目を抉ってやる」
「はは、それが出来ぬように致しましょう」
「勝手に言ってやがれ」
はん、と鼻を鳴らしながら下がれと指で示されたので頭を下げてから主の部屋を後にした。
この行為が梵天丸様を助けられるか、引っ込み思案な性格が失せてなくなるかと問われれば自信はからきしない。けれど、少し変えられればと願いつつ自室へ引き返すことにした。