もみじ
夜明けは、もう直ぐそこだ。
「さて、と……もうぼちぼち行きますかね」
軽く凭れていた木の幹から、体を離すと、カカシは痛みに疼く背を悟られぬように細心の注意を払って、立ち上がった。
それに倣うようにして、隣にあったカカシより幾分か小さな影が動く。背中に視線を感じながらも、カカシは振り向くことはしない。
「いやー、今回は参ったね……イタチが居なかったら、ちょっとヤバかったかも」
軽く背筋を伸ばせば、少しだけ背中が痛んだ。顔を顰めても見えはしないが、伸ばした刹那の違和感を感じ取ったのだろう。
沈んだ声が空気を奮わせた。
「それは、違うでしょう……。オレが居たから、かなりヤバかったの間違いです」
固い声は、昨晩を思い出している証だ。珍しい失態に、落ち込んでいるのが見て取れる。
気が急いていたのか、何か別の事に気を取られたのか解らないが、イタチは明らかな罠を見抜けなかった。
敵の起爆符がイタチを捉えているのをいち早く察知したカカシが、咄嗟に覆い被さって身を伏せさせなければ、致命的だっただろう。
暗部の不文律は、使えない者は切り捨てるだったが、優秀な子どもは、幾ら優秀であっても、経験ではカカシに遠く及ばない。
まだ、伸びる可能性のある芽を、ここで潰してしまうことは、里にとっても大きな損失になりかねなかった。故に、一番被害が小さくて済む方法で助けたつもりだったのだが、どうにもそれはイタチにとっては、納得がいかないことのようである。
「一歩、間違っていれば、死んでいました……」
苦しげな声は、暗部に生きる人間とはとても思えない。情を殺せない少年の柔らかな心が、酷く傷ついていることは理解できた。
「心配してくれるのは嬉しいけど、これはもう済んだこと…。オレがお前が居て良かったって言ってるんだから、ソレで良いじゃない?」
イタチに向き直って、いつもの飄々とした調子を崩さずに、カカシは言う。それにイタチは、駄目なんです、と透かさず首を振った。
頑なに反省を続けるイタチは、自分を許せないでいる。
自分の失態を振り返って、素直に反省できることは美徳であるが、それをいつまでも悔いることは無駄でしかない。
「じゃあさ、こういうのはどう?今度はお前が、オレを助けられるだけ強くなれ。それでお相子だ。解ったら、もう済んだことをグダグダ言うんじゃない」
こんなの痛くも痒くもないとでも言うように、カカシは、思い切り背筋を伸ばしてみせる。だが、やはり痛いものは痛い訳で、顔を顰めて短く呻いてしまった。
それを見ながら、イタチは小さく吹き出す。
「貴方って人は……本当に、優しすぎです」
ぽつりと呟きながら、初めて心を露わにして、イタチは微笑む。
それを見つめながら、カカシも笑う。
「お前……そうしてた方がいいな」
カカシに、くしゃりと頭を撫でられて、意味が解らないとでも言うように、ぱちぱちと目を瞬かせるイタチの姿は、とても暗い仕事を生業にしているようには見えない。
(オレは…駄目な大人だなぁ。ホント)
優しく引き寄せて、耳元に唇を寄せ、囁く。
「笑ってた方が、可愛いって話だよ」
口説くような台詞に、イタチの頬が赤く染まる。それは秋を彩る紅葉ようだ。
調子づいたカカシが、耳朶を食むと、イタチはびくりと体を震わせる。幼いなと笑った刹那、振りかぶられた手が、見事にカカシの頬を捉えた。
先まで、沈み込んでいたとは思えない程の華麗な早業は、カカシの頬に見事な紅葉を作り出す。
まさか、カカシを捉えられるなどと思っても見なかったイタチは、己のしでかしてしまった所業に、慌てた。
しかし、すみません、と頭を下げるイタチに、カカシは笑うだけだ。
「それだけ元気があるなら、大丈夫だな。さ、里までもう少しだ」
かさりと、落ちた葉を踏み歩くカカシの背を見つめながら、イタチは心までもが赤く色付くのを感じていた。