ふつうのおんなのこ
カーテンを開けると、眩しい朝の光が目に刺さった。
ランスは昨夜一晩雪が降り続けたので、日の光は新雪に反射していつもより明るさを増していた。ハリードは目を細め、光に慣れるまでヨハンネス邸の庭を覆う雪景色を眺めた。傍らのベッドには、昨夜泣き疲れて眠りについた、エレンがいた。彼女の長い睫毛が縁取る瞼は少し赤くむくんでいた。
まさかサラがあんなことになるとは——
ハリードにとっても、衝撃だった。エレンの最愛の妹、サラがアビスゲートを操る力を持つ、宿命の子だったという事実。ようやく四魔貴族をすべて打倒したかと思えば、サラはゲートを閉じるべく、アビス側へと姿を消してしまったのだ。これは死で分たれるよりも、辛い別れなのではないだろうか——エレンの憔悴ぶりを見て、ふと思う。
喉の渇きを覚え、水差しから一口分の水をグラスに注いだ。彼はエレンが眠りにつくまで見守り、目覚めても目が届くようにとあまり長いこと眠ってはいなかった。室温に温まった水をくいと流し込み、グラスをテーブルに置いたところで、「う、ーん……」エレンの呻き声が聞こえた。
目が開けにくい——まどろみながらエレンはそんなことを思った。実際、彼女の瞼はひどく腫れていつものようにはっきりとはどうしても開かない。どこかから水音が聞こえ、エレンは腫れて目脂で固まった瞼をこすりながら体を起こした。
ドアが開いて、「ほら」とハリードの声がしたかと思えば、狭い視界に濡れたタオルが差し出されるのが映った。
「あ、ありがと」
よく冷えていた。顔を拭いてしまう前に、しばらく顔全体を当てた。ほてりも、むくみも流れて行くようだ。
目が覚めて、だんだんと現実も甦ってくる。エレンはタオルを顔から離すことができなかった。
——サラ、サラ。もう、あの子はいない。どこにも。
ハリードはベッドに腰掛け、エレンの震える肩を抱き寄せた。だが彼にもそれ以上どうしたものかわからなかった。かける言葉がみつからない。思いつくのはみな陳腐だ。だが、一つだけ疑問を投げかけてみた。
「お前は、知らなかったのか? サラのことを」
歳は4歳差だったはずだ。4歳なら、妹が生まれた時分のことが記憶に残る頃だと思われた。
しばらくおいて、エレンは首を横に振った。そうか、と小さい声で応え、それ以上は何も言うまいと思った。「わからないの」タオルの奥から、くぐもった声が聞こえた。
「わからないの、小さい頃の記憶、全然なくて。シノンで暮らし始めた頃のことは覚えているけど、その前のことは全然思い出せない」
そう言いながら、エレンはようやく瞼のあたりを強く拭って、顔からタオルを離した。
「ただ、周りの大人達からは『お前達は普通の女の子なんだから、女の子らしくしてなさい』とは言われてた。私はそれが嫌で、勉強も、家の仕事も、乗馬も誰よりも上手くなろうと思って、頑張った。トムが自警団を組んだときは真っ先に手を挙げた。そのうちに私が、サラに『あんたは普通の女の子なんだから』って言うようになってた」
しゃくり上げるのを抑えながら、エレンはそう語った。
一時期でも王族として為政者側にいたハリードには、何となく察しがついた。恐らく大人達は知っていたのだ。サラが宿命の子であることを。その秘密を、まだ物心つくかつかないかの子供だったエレンにも強いたのだ。そして今になってエレンも、それに気づいたのかもしれない。そのうちにエレンの肩の震えが小刻みになった。
「ふふ、何が普通の女の子なんだか。笑える。普通の女の子は、何もできないただの女の子は、私じゃない——」
自嘲しながら、なおも涙を流し続けるエレン。
だがハリードは、彼女の泣き顔は見ずにこう答えた。「いいよ。普通で」エレンの肩の震えが止まった。
「いいよ」
肩を抱く手に、力を込めた。エレンはその言葉で胸の中の澱が溶けるように感じた。返事をしたり、頷いたりする代わりに、肩を抱くハリードの大きな手を握り返した。