ため息の意味
長月という人物は、一般的に見て、おそらく穏やかな人柄とは言い難い。
ぱっと見はにこにこしている美人だが、その実、瞳に込められた迫力たるや、この世に彼を恐れないものはないと言い切りたくなるくらいだ。
魔王だなんて呼ばれているのもおおいに頷ける(専ら陰で呼んでいるのは自分だが)。
けれど、人柄が冷たいのかといえばそうでもなくて、厳しくはあるけれど、根本的には突き放しはしないのだ。
というのは、昔から数多く叱られては許されてきた、血縁の贔屓目なのだろうか。
昔から、自分自身、この従兄のことは恐れてはきた。
けれど、逃れられない恐怖かといえばそうでもない。
有無を言わさぬ強さはあるが、理不尽な強要はないからだ。
怒らせるのはいつも、自堕落だったり甘かったりする自分に原因があった。
長月は、正しいことに対する基準が厳しいのだ。
しかし、それに助けられたことも何度もある。
他人に怒られたり呆れられたり見放されたりする前に、必ず叱ってくれる身内の存在があるのはとてもありがたいことなのだろう。
だから、昔からどこか恐れてはいても、決して嫌いではなかった。
その長月を、いとも簡単に怒らせるのがシュースクのシュースクたる所以だ。
「シュー?」
語尾が上がるこの呼び方をされるときは、大抵いい話ではない。
びくっと肩を震わせて反応すれば、見た目にはにこやかな、けれどその実絶対に逆らえない迫力を込めた笑みがこちらに向いていた。
目だけが笑っていない。
怖い。
はっきり言って、怖い。
「また、夜通しゲームしてた?」
また、の部分に必要以上にアクセントが置かれていた。
心当たりしかないシュースクは竦み上がる。
長月が青年会の当番で家を空けているのをいいことに、ネットをし放題にしまくって、いい加減にしなさいと釘を刺されたのはつい数日前のこと。
しかし、言われた直後はいいのだが、数日たてばまあいいか、バレなければと気軽に考えてしまうのがシュースクなのだ。
「シ、シテナイヨ?」
否定はしたが、目が明後日を泳いでしまった。
嘘をつくわりには演技力がないのもシュースクだ。
「嘘をつかない」
「ウ、嘘ジャナ」
「嘘つかない」
間髪入れずにかぶせられて、
「ゴメンナサイ」
あっさり陥落した自分の砦の弱さといったらない。
こんなことでは敵に攻めいられたら瞬殺ではないか、とゲームに思考が行きかけて、慌てて修正した。
思考を読まれたのかどうかはわからないが、長月からは程々に長いため息が聞こえた。
聞き慣れた響きといったら情けない話だが、数知れず聞いて耳に馴染んでしまったのだから仕方ない。
けれど、この長さは悪くない。
本当に、もっと真剣に怒らせたときは、ため息すら無いのだから。
「寝てないだろう」
伸びて、目元に触れてくる指は優しかった。
鏡を見ていないからわからないが、もしかしたらクマでもできているのだろうか。
いや、寝不足故の体のだるさはあるから、顔色も悪いのかもしれない。
「……ウン」
「ちゃんと寝なさい。自業自得だけど、体調崩したらフィールドワークにも行けないし」
「………ハイ」
「それに、ランチ目当ての常連さんたちが淋しがる」
「ウン……」
それは確かに申し訳ないと思う。
もともとがフィールドワークの隙間の時間を利用して始めただけのランチだ。
毎日作っているわけではないし、常連客はそれも承知しているはずだが、それでも、自分の作ったものが楽しみにされているのは単純に嬉しい。
内弁慶な自分がやっと慣れて、顔を出せるようになって、それを喜んでくれているひとたちだ。
期待されているなら応えたいとも思う。
「ゴメンナサイ」
今度こそは本気の反省を込めて謝ると、長月は仕方がないなという顔でふっと笑った。
これはたぶん、もうお許しが出たときの表情。
どんなにヘマをしても、根本的に許してもらえなかったことはない。
誰にでも平等に厳しい長月を怒らせる回数のわりには、甘やかされているのではないかと思う、自分は。
血縁だからなのかはわからないが。
血の繋がりっていいなと思うのはこんなときだ。
何があっても、おそらく断絶することだけはない。
それが信じられるから。
つい、安心して甘えてしまうのだろうと思う。
「ボクもね」
「エ?」
「シューが寝込むのは心配だから」
だからちゃんと寝なさい。
ぽんと頭に乗せられた手が温かい。
綺麗な長い指が、くしゃりと金髪を掻き混ぜた。
ウンと返事をして、シュースクは、明日のランチは長月の好きなメニューにしようかと頭の片隅でこっそり考えた。
2012.9.29