あらしのよるに
「スゴイ音ダネ」
コーヒーの湯気をふうふうと吹いて燻らせながらシューが言った。
シューの言う通り、外はごうごうと風の音。
加えて雨戸を容赦なく叩く横なぶりの雨粒は、1時間に100ミリにもなると予想されている記録的降水量に貢献しているわけだ。
明日は暴風に飛ばされてきた枝だの枯葉だの壊れた傘だの、店の前の景観を保つために、片付けのひと仕事がいりそうだ。
要するに、暦町にも世間と等しく台風が来襲中である。
「秋だからね。数年に一回は大きいの来るし」
「フウン。日本ッテ結構タイヘン」
「これも秋の風物詩みたいなものだよ」
「フウン。楽シクナイノニ、イイモノナンダ?」
「子どもたちならわくわくしてるかもね」
停電になんてなろうものなら、大人たちの嘆きをよそに、子どもたちは小さな冒険ばりにはしゃいでいるんだろう。
日常の中にふいに生まれる非日常というものは、幼い冒険心を掻き立てるものなのだ。
ロウソクの火で食卓囲んでご飯食べたり、真っ暗の家の中探険したりとかね、とは、神主の思い出話で聞いた内容である。
長月自身は日本の外で育った時間もあるので、経験があるかといえば実際にはない。
しかし、感覚的にはわかる気がするのは、生活基盤を日本に置いた時間が長いからだろう。
フィンランド人のシューは、ヨクワカンナイと首を傾げて、コーヒーをぐいと飲み干した。
いつもなら夕食の後は早々に部屋に籠もってネットゲームに勤しむ従兄弟なのだが、今日は何故だかなかなか居間から引き上げない。
なんとなく、この前何があっただの、誰がこう言っただの、取り留めもない話をしている。
コーヒーを飲む長月のそばを、いつまでもうだうだと離れないから何かあるのかと思ったのだが、
「雨戸、ガタガタイッテルネ」
「台風だからね」
「窓、破レナイ?」
「破れないよ」
「何カブツカッタ音シタヨ!」
「何か飛んできたかな」
「ネェ、ガタガタイッテル!」
「暴風警報出てるからね」
こんな会話を繰り返していれば、その意図は自然と知れるというものだ。
ずっと日本に暮らしているわけではないから、この小心者は穏やかになりつつあった秋の気候との落差に慄いているのだろう。
だろうが、この恐がり方は少々情けない。
幼い子どもだって、もう少し堂々としているのではないだろうか。
まったく。
呆れながらも、少々からかってやろうといたずらを思いつく。
さて、どうやって弄ってやろうか。
「さてと、」
テーブルに手を突いて立ち上がる。
不安そうなシューの視線が長月を追った。
「長月、寝ルノ?」
「シューは寝ないの?」
「ネ、寝ルヨ?」
「そう。じゃあおやすみ」
テーブルを離れようとすると、がたん、とシューが立ち上がる。
「何?」
「ナ、何デモナイケド」
「けど?」
顔を近付けて覗き込む。
不安だと顔いっぱいで訴えているくせに、認めはしないのがかえって子どもっぽい。
「……ッナ、長月ガ片付ケ終ワルマデ待ッテテアゲル」
確かに自分はカップやら何やらの片付けをしなければならないのだが。
長月のためと、こうきたか。
思わず声に出して吹き出すと、シューの方もどうやら見透かされていることは承知の上なのだろう。
「何デ笑ウノ!」
顔が赤い。
しかし、見透かされているとわかっていながらまだ言うのだから、往生際の悪いことこの上ない。
調子に乗って何事かやりすぎた後も、いつもこんな感じだ。
そこがまた、この従兄弟らしいのだが。
「長月!」
「はいはい、何でもない何でもない」
笑いを押し殺してひらひらと手を振ってどうどうと宥める。
不満顔のシューに、ひとつ提案をすることにした。
今、日本全土を順番に嵐の渦に巻き込んでいるのは足の速い台風らしいから、もうしばらくすれば多少は風雨のおさまりも見せるだろう。
音さえ静まれば、シューも大人しく眠れるはず。
だから、もう少しだけ、付き合ってやらないこともない。
「コーヒー」
「………?」
「もう一杯飲むか?」
「………! 飲ム!」
途端に飛び付いてきたシューに、苦笑半分に微笑んだ。
この分では、嵐がおさまるまで解放されないかもしれない。
しかし、にこにこと上機嫌に早変わりしたシューを見て、まあ、たまには悪くないかと思い直した。
そして、次の一杯を入れるべく立ち上がった。
2012.10.1